ことばの起源(猿の毛づくろい、人のゴシップ)

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ことばの起源(猿の毛づくろい、人のゴシップ)
ロビン・ダンバー著 松浦俊輔+服部清美訳 1998 11 22 青土社


【本書の主張】
 「言語は、猿の延長で毛づくろいという肉体的接触によって集団の連帯を維持していた人類の祖先が、より危険な環境で生きざるをえなくなったときに、より大きな集団を維持する必要が生じ、肉体的接触の不足を補うものとして、声による接触を用いてできたというものである」
(訳者あとがきより)


【雑感】
 著者の実験・考察はかなりおもしろい。友人の数や主に話す内容を調べたり、サルと比較することによって、脳(大脳新皮質)と群れの大きさとの比例関係を見いだしたり。非常に刺激的な結果を導き出している。


 集団を作るサルの集団規模と大脳新皮質の大きさの比例関係から導き出される、ヒトの社会的な関わりを持てる集団人数は150人ほどが限界だそうだ。つまり、それは私が有機的に関係を保てる人数の限度であるし、その人数を超えた社会は何らかの無理をしていることになる。


 また、人は四人までのグループでしか親密に話すことはできないそうだ。ダンバーは居酒屋みたいなところで観察をくり返し、そう結論づけている。確かにそれはよく実感がわくだろう。5、6人が集まって何か話すとき、会話が二つに分かれることは、もうしょっちゅうあることだ。


 人間の脳や心理を探る上で、社会性というのは間違いなく最重要視されるキーワードだろう。人間の特徴とはどれも、大集団の中、良好な個体間関係を維持するとともに、相反する利害関係のバランスを維持することで培われたといえる。そうできない個体は淘汰されてきたのだ。


 個体の利益を確保しつつ、集団に属し他人の利益も検討しなければならないということは非常なストレスとなる。サルはそれを解消し、個体間の信頼関係を高めるためにかなりの時間を毛づくろいに費やす。


 ダンバーはヒトのことばに、サルのその毛づくろいの機能を見いだしたのだ。ことばは毛づくろいに比べ他者と接するのに効率がよい。そのため、人間はサルに比べかなり大きな集団を形成・維持できるようになった。


 これはことばに対する認識の重要な主張である。


 ことばは、狩りのときに連携がとりやすくなったとかいうなまやさしい機能だけを持っているわけではない。


 それどころか、ことばは人間をまさに人間たらしめている根源である大規模集団をささえる大黒柱だったのだ。


 これは、実感がよくよくわくから気持ち悪い。確かに私たちは大集団での軋轢を減らしたり未然に防ぐために、かなりの時間を他人とのおしゃべりに費やしている。


 このダンバーの主張は人間を考える上でとてもとても重要な前提であるだろう。


《20070527の記事》