最近、腕時計について思うこと諸々②/②(時計とは私たちヒトの時間感覚を具現化したものであり、またそうであるがゆえに美である)

 時間とは何だろう?


 今、まさに目に見えてるこの世界は、私の脳がヒトの目という不完全な感覚器官から受けた中途半端な視覚情報を統合した恣意的なものだけど、時間というものもまた極めて恣意的なものだ。ネズミにはネズミの見えてる世界があり、ネズミにはネズミの感じる時間というものがある。ゾウにはゾウの見えてる世界があり、ゾウにはゾウの感じる時間というものがある。宇宙人は時間というものをどう捉えるのだろうか。同じようであるかもしれないし、全く異なった代替の感覚があるのかもしれない。とかく、今まさに感じている、この時間という感覚は人間特有で、人間だけで、一種の暴力的ともいえる強さで私たちを支配しているのだ。


 時間は歴史的にいろいろな形で表現されてきた。10進法というものもあった。今は12進法、60進法がほぼ用いられているが、この時間の表現から生じる感覚もこれまた一種の暴力的ともいえる強さで私たちを支配している。時間にまつわるこれらの感覚はいづれも恣意的。他の生命に共有されることはなく、どれも人間独自のものとして発達し、ちょっとまぐれ的に12進法として整えられ、私のニューロン回路にしみこんでいる。


 時計というものは私たちの時間感覚を具現化したものであるといえないだろうか。時間感覚や、12進法60進法という独特の表記は脳にしみついているのである。それを形にしたものが時計だ。時計は人間の思考回路の一部を外部に、物として表現したものなのだ。だから時計はおもしろいし美しい。そして美しくある価値がある。


この秒針の動き、分針の動き、時針の動き、バランスのとれた円形の文字盤、奇跡の12進法60進法。どれもこの歴史を歩んだヒトだけのもの。時計とは私たちヒトの時間感覚を具現化したものであり、またそうであるがゆえに美であるのだ。


《20070525の記事》