最近、腕時計について思うこと諸々①/②(アストロデアが美しいのは自然の美をほぼ純粋に取り入れているから)

 時計は、特にデザインに力が入りやすい腕時計は、美しい。メーカーの公式サイトや代理店のサイト、オークション、時計雑誌なんかを眺めてはただ鑑賞している。


 時計をつけるようになったのは確か高三になってからだ。それ以前は腕に時計なんかつけるのは嫌いだった。めんどくさかったし、煩わしかった。何より時間に縛られてるみたいでかっこわるかった。それがなぜ高三になって改まったのかというと、時計の美に気づいたからだ。


 文字盤に白蝶貝をあしらったその時計を広告で見た時、私の心は躍った。美しく淡く光り、時間を提示するその時計。天然の白の中に、うすピンクやうすミドリに輝く白蝶貝はまさに奇跡の美というほかない。針やインデックスはどこまでもシンプルで、そしてみごとな調和をとっていた。(後にデイトナのデザインのぱくりであったことが分かる)


 今のお気に入りはアストロデア新南天だ。シチズンのコスモサインの流れをひく時計である。文字盤に約1300個もの恒星、星雲、星団があしらわれているという超絶時計。それがそのまま(南天専用の)星座早見表になるのだ。薄いブルーの中に光る星々。そのあまりの美しさに時計を見るたび一瞬見入ってしまう。そこにはもう一つの天の川が見える。


 宇宙をその手に・・・。


 最近夜空を見たのはいつだらう? こんな田舎でも宙は十分に人間から圧倒されている。それに、科学技術は人間に宇宙を教えたと同時に普通の人から宇宙を遠ざけた。普通の人は夜空を見ることに囚われはしない。もっと身近にいかにも楽しいことが満載だから。


 この時計がこんなにも美しいのは、一つに他にはないデザインであり、またその制作に長年積み重なった知識と技術が必要であるからだろう。また時間を見るという時計本来の目的を大胆にかつ静かに無視している点も興味を引く。アストロデアのインデックスはただの棒線で、しかも針が薄いから文字を読み取るには不便なのだ。


 しかし、なんといってもアストロデアの美しさの最大の理由は、文字盤のデザインが自然の美によっているからだろう。アストロデアの文字盤はもちろん人が作った物だがそのデザインは自然に依拠している。何もどこかの天才が星々の位置をデザインしたのではもちろんない。それはただただ自然にできた奇跡の産物だ。


 人はそういう自然の無垢なる結果に激しく引かれる。山に登っては切り立った大地に圧倒され、波の音を聞いては懐かしい気持ちになり、雨をかいでは悲しさをいだき、究極の食材を求め、またすり寄る猫にほほえむのはとかくそういうわけだ。どういうわけか、人は自然というものを美しく感じる。もちろん自然はただ美しいわけではない。自然を擬人的に見るならば、彼はこの上なく残酷だ。無限ともいえる数の生命と遺伝子たちに死を与えるだろう。それでもやはり、海に行ったり山に行ったり、レインコートを着つつ雨の中に立ったりすれば、自分がいかに自然に対し、強くそして根源的に引かれているかを自覚する。


 自然は残酷だが好ましく、人はそれを渇望して止まない。アストロデアは自然の美をかなり純粋な形で取り入れている。だから私はこんなにもアストロデアに引かれているのだ。


《20070524の記事》