夜と霧(新版)

夜と霧(新版)
ヴィクトール・E・フランクル 著 池田香代子 訳 2002 11 5 みすず書房


【背表紙より】
 〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉


 「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。原著の出版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版した。
 世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
 私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か。20世紀を代表する作品を、ここに新たにお送りする。


【私的感想】
 著者はかのナチスドイツによって強制収容所に入れられたものの一人だという。ほとんどを土木作業員として鉄道建設に従事させられ、最後の数週間は医師として従事したそうだ。


 そして、心理学者でもあった。心理学者として、強制収容所での壮絶な経験を心理学的に、またできるだけ客観的に記述しようというのが本書である。


 ある時代のある出来事として本書を読んでも興味深いし、当事者が、自分を含めた当時の被収容者の心理分析を試みたと捉えればなお興味深い。


 極限状態における人間の心理について、本書から大きな結論を引き出すならば以下の通りである。


 被収容者の感情の著しい減退。消滅。それから決断を下すことへの尻込み。


 過酷で気まぐれな収容所での生活は被収容者の感情を減退させるようだ。ほとんどきまぐれに監視官から罵声や暴力が飛び、死体や苦しむ人間、瀕死の人間を見慣れた生活。睡眠不足や空腹から肉体の消耗も激しい。そんな環境に長くさらされれば、人間らしい、憤りや同情、怒り、嫌悪、恐怖の感情が薄まるという。自分で決断を下すこともなくなるそうだ。ただ、政治(戦況)や宗教への関心はあったとのこと。


 著者は、将来に希望を持つことや内面への逃避(愛する人や過去との対話・妄想)でそれらを回避しようとしたそうだ。


 人には生きる目的が必要だと著者は言う。彼は収容所の中で「わたしたちは生きる意味というような素朴な問題からすでに遠く、なにか創造的なことをしてなんらかの目的を実現させようなどとは一切考えていなかった。わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた」という。何となく意味が通じるいい言葉だ。生への絶望が充満する中で、生きるということは、人が生きるということはどういうことなのか? それを考えた末、直感的に感じ取った言葉なのだろう。


 「強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在であるという自覚などは論外だ。人は自分を群衆のごく一部としか受けとめず、「わたし」という存在は群れの存在のレベルにまで落ち込む。(中略)わたしたちはまるで、犬に噛みつかれないようにし、隙さえあればわずかばかりの草をむさぼることで頭いっぱいの、欲望といえばそんなことしか思いつかない羊の群れのようだと感じていた。(中略)被収容者はほどなく、意識しなくても五列横隊の真ん中に「消える」ようになるが、「群衆の中に」まぎれこむ、つまり、けっして目立たない、どんなささいなことでも親衛隊員の注意をひかないことは、必死の思いでなされることであって、これこそは収容所で身を守るための要諦だった。」


 収容所という限度を超えた異常な環境にあって、感情の減退がみられたというのはほんとうに興味深い。


 また本書は、極限状態においても決して人間性を失わなかった被収容者や、被収容者によって演奏会が催されたりする収容所の様子を描写している。そこから、人間性の「希望」を見いだすことも可だろう。


【名言】
「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」p129


「わたしたちは生きる意味という味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた」


《20070523の記事》