〈子ども〉のための哲学

〈子ども〉のための哲学
永井均 1996 講談社


 本書は著者の考える本当の哲学とは何かを示し、さらに著者自身が子どもの頃から哲学してきた二つのトピックを思考の流れとして紹介することで構成されている。


 本書による哲学するとはどういうことかというと、、、


「ぼくが読者の方々に伝授したいやりかたは、とてもかんたんなものだ。大人になるまえに抱き、大人になるにつれて忘れてしまいがちな疑問の数々を、つまり子どものときに抱く素朴な疑問の数々を、自分自身がほんとうに納得いくまで、けっして手放さないこと、これだけである。」p13


「大人だって、対人関係とか、世の中の不公平さとか、さまざまな問題を感じてはいる。しかし大人は、世の中で生きていくということの前提となっているようなことについて、疑問をもたない。子どもの問いは、その前提そのものに向けられているのだ。世界の存在や、自分の存在。世の中そのものの成り立ちやしくみ。過去や未来の存在。宇宙の果てや時間の始まり。善悪の真の意味。生きていることと死ぬこと。それに世の習いとしての倫理(たとえば、知っている人に会ったらあいさつするとか)の不思議さ。などなど。こうしたすべてのことが、子どもにとっては問題である。」p15


「子どもの哲学こそが最も哲学らしい哲学である理由がそこ(skycommu注・青年や大人、老人の哲学と違って文学や思想、宗教などで代用できないこと)にある。そこにこそ、何ものにもとらわれない純粋な疑問と純粋な思考の原型があるからだ。」p25


「ぼくは、ここで、どんな問いをもち、それをどんなふうに考えていったかを語ることを通じて、そういうことができるし、していいのだ、ということを示したい。ちょっとごうまんな言いかたかもしれないが、ぼくの信じるところでは、それこそがほんとうの哲学のやり方なのだ。」p26


 とまあ、こんな感じで子どもの頃、あなたが思った世界に対する根元的疑問に答えようと思索を続けることが、哲学するということなのだそうだ。他人の哲学書を読みなぞることは、真の意味で哲学をすることではないとのこと。思想を享受することと思考を持続することははっきり違うと著者は指摘する。(もちろん、後者が哲学するということ)


 うんうん。なるほどね。確かに僕も一般のイメージと同じく、他人の思想を読むことが哲学なんだと思っていたなあ。大学でヘーゲルとかニーチェの話を聞いて、(おっ、すげー、もっと彼らの思想について勉強してみたいなあ、哲学って楽しいなあ)と感じていたから。


 だが、著者のいうとおり、子どもの疑問を考え続けることこそ真に哲学するということなのだろう。哲学とは自分で見つけた問題を、純粋に自分で考え抜くことだと僕も納得した。それをせず、他人の思想のみかき集めるのは単なる逃げで、本当の意味で哲学しているとはいえないのだ。


 もっとも、僕は思想にふれた時の、(おっ、すげー、もっと彼らの思想について勉強してみたいなあ、哲学って楽しいなあ)という思いを大事にしたいとも思う。他人の思想を受容しつつ自分の頭でそれらについて考え比較し、批判できるようになれば、それはそれで哲学しているといえると思う。著者は、(思想書を読むな!)、といってるわけではなく、(単に思想を理解してもそんなの哲学じゃないよ)といってるわけだが。人の思想を自分で考えつつ受容し、批判できるまでになったとき、それは哲学しているといえるのだろうか? 著者の意見を聞いてみたい。僕は一定のレベルで哲学していると思う。


 なお、著者は自分がしてきた哲学の例として「なぜ僕は存在するのか」と「なぜ悪いことをしてはいけないのか」をあげ、今までの思考をたどってみせている。僕がそれらを読んで感じたのが、なんだか言葉遊びみたいだなってこと。著者にいわせれば、それはあんたが大人になってしまったからだというところか。う〜〜ん、言語化しにくい部分があるんだけれど、単純に考えるだけではいつか行き詰まってしまうと思うんだよね。他の学問の知見が生かされてないような。


 例えば、後者の「なぜ悪いことをしてはいけないのか」っていう疑問なんか進化心理学の知見を大いに生かせると思う。善悪(道徳)は、人類が進化の過程で獲得していったものだ、ってね。そういう知識をふまたうえで著者の考察を読んでみると、なんだか言葉遊びだな、って感じてしまう。もちろん、(おっ、おもしろい思考転換だな)、って感じる部分もあるにはあるんだけど。


 哲学と進化心理学の相性はいいように思う。進化心理学が人間精神への根元へ迫っているからだ。そんな感じで、著者も進化心理学やその他の学問が得た知見を、自分の哲学に導入してみればいい。著者の思考をなぞっていて、そんな感想を抱いた。


 ところで、自我の獲得を進化心理学的にみるとどうなるのだろう? 自我の獲得が、人間の個としての生存のみに対し、どのような利点をもっていたのか?いるのか? ある本には、他人の気持ちを読み、行動を予測するために自我が発達したとあった。その妥当性の判断はとりあえず今は置いておくが、どのみちヒトの社会性にそのヒントがあるのは間違いないだろう。



 ちなみに、僕が子どもの頃から思索してきたこと。


なぜ人は自然を愛してしまうのか?
人間にとって幸福とは何か? どういう社会システムが人間を幸福にするのか?
人間の想像力はどこまで広げられるのか?


《20070518の記事》