銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに

結構前だね。10月15日の「その時歴史が動いた」でアイヌ神謡集の著者、知里幸恵が取り上げられていた。その時のタイトルは「神々のうた 大地にふたたび 〜アイヌ少女・知里幸恵の闘い〜」だった。


僕は特別な感情を持って、この番組を見た。なぜなら、僕の卒論のテーマである「ひかりごけ」に、幸恵の弟、知里真志保の話が出てくるからだ。
ひかりごけ」の中で語り手「私」が、M氏が「アイヌ族のうちの或る部族は、かつて古い昔、人肉を食べたこともあったという話」を聞き激怒したことを思い出すシーンがある。このM氏は、知里真志保を参考としていることが、先行研究で明らかになっている。


そればかりか、アイヌに発せられたこの理不尽な言葉に怒った知里真志保に対する共感が、「ひかりごけ」の一つの原動力であるとする、先行論があった。普通に読んでるとなかなか気づかない点(テクストに意識的に埋め込まれていない点)に気づいたすばらしい指摘だ。
→清原万里「ひかりごけ再論」(「近代文学論集」1991年12月)


だから、僕はこの特殊な事情により、アイヌの人々に共感するある程度の下地をもって、番組を見たわけ。
番組自体は、非常によくできていた。
日本が近代化する中で、犠牲になった、犠牲にせざるを得なかった、アイヌの人々の境遇や苦しみがよく理解できたと思う。

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それとは関係ないけれど、ものすごく印象に残ったシーンが番組にあった。


ナレーターがアイヌ神謡集の「梟の神の自ら歌った謡「銀の滴(しずく)降る降るまわりに」」の冒頭を読むシーン。
背景動画は、空飛ぶフクロウが村を眺めるかのような視点。
深き森の中、細い川の上空をそれにそってゆったりと飛び、川沿いにへばりつく小さな村にゆっくりと視線を移していく。
重力から解放されたかのようにゆったりと。神々しいまでにゆっくりと。

「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
流に沿って下り,人間の村の上を通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が今の貧乏人になっている様です.

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理由は分からないけれど、目を見開いた。
おもむろに正座した。
肢体が震えた。


「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに.」
なんて美しい言葉だろう。
それを歌いながら、深い森の、人住む村を眼下に、ゆっくりと滑空する。
なんて美しい光景だろう。


確かに、その昔、極寒の北海道には、自然と共生し、自然を愛し、自然を敬ったアイヌの人々と、彼らを愛し、守護した神々がいたのだ。

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ちなみに、アイヌ神謡集著作権はきれていて、青空文庫に全文が公開されている。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000000/card44909.html


どれも美しい神の謡なので、ぜひ読んでほしい。


《2008/10/29の記事を転載》