21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ

21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ
佐々木俊尚 2015 NHK出版

内容、カバー折口より

日本にはリベラルや保守がそもそも存在するのか? ヨーロッパの普遍主義も終わりを迎えているのではないか? 未来への移行期に必須の「優しいリアリズム」とは何か?――「政治哲学」不在の日本、混迷を極めるヨーロッパ、ネットワーク化された世界に生まれた共同体の姿を描き、「非自由」で幸せな在り方を考える。ネットの議論を牽引する著者が挑む新境地!

感想

本書は、日本の自称「リベラル」勢力のいびつさや、政策にはメリットとデメリットの両方が生じるものであり、それらを天秤にかけながらものごとを決定し進めていくことの重要性、居場所の大切さなどを指摘している。これらは非常に重要な指摘ではあるも、まあ一般的な主張だろう。

本書はそうした一般的な主張をどう深めていくのか、期待しながら読んだわけだが、一般論をなぞるだけで、論はほとんど深まっていなかった。結局常識的な意見を述べるに終始し、データの積み上げによる論証も、世界の見方を刷新する新規な主張も、今後の社会の在りようについての具体的な提言もなかったのである。テクノロジーの発達によって「ネットワーク共同体」という、人間関係は固定されず常に組み替えられる社会を将来像として展望しているが、論はここで終わり。こんなの高校生の小論文でもそもそも採点できないほど低レベルな議論だろう。こんなのアタリマエだからだ。4、50年前の議論じゃあるまいし。

佐々木氏の前著である『「当事者」の時代』(http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20140709/1404835826)も、常識的な議論にとどまっているといえばそうかもしれないが、自身の実体験を積み重ねていった主張で、読みごたえがあった。それに比べ本書のスカスカ感はいかんともしがたい。

メモ

・日本のリベラルはただ戦争に反対するだけ。欧米のリベラルは軍事介入や戦争の是非について、そのときの情勢の応じてさまざまな反応を見せる。というのも、「リベラル」であることと戦争(軍事介入)の賛否は直接関係ないから。

・日本のリベラルは経済成長を軽視しすぎている。多様性を許容し、弱者を救済する社会を目指すはずの本来のリベラルの思想とから逆行している。

・「日本の「リベラル」には思想はなく、「反権力」という立ち位置だけに依拠している」p68

・外交でも安全保障でも白黒つけるのではなく、ものごとはたいていグレーであることを認め、そのなかでメリット、デメリットをマネジメントしていくことが大切。ゼロリスクはない。そしてその際は人々の不安や喜びといった感情を考慮していく必要がある。