海浜型前方後円墳の時代

海浜前方後円墳の時代
かながわ考古学財団 編 同成社 2015

内容、出版者ウェブサイトより

海上から目視可能な交通の要衝に造営された海浜前方後円墳を集成し、その立地の意義や築造背景、古墳時代の海民統治などの実態を、新たな視点から追究する。全国の海浜前方後円墳分布図と一覧表を収録。

感想

古墳といえば、平野を見渡せるような河岸段丘面やそれに類する尾根上につくられることが多い。本書はそうした古墳ではなく、平野に乏しいにもかかわらず大型墳がつくられた例、そこに「海から見える」という視点をもちこみ、活発な交易と、その交易から生み出される富と情報を支配しようとした権力構造をみいだす。
ただ、このような視点は別段珍しくないだろう。大阪湾岸にある巨大古墳群は海から視線を意識している、というのはよくいわれることだ。また鹿児島でいえば、大隅半島東海岸薩摩半島の北西部に位置する長島には古墳が集中している。これは交易だけでなく対隼人戦を想起させる。対隼人戦の支援として大和王権から人や物の援助があったのではないだろうか。

とまあ、海からの視点というのは別段新しくも何ともないが、本書は海からよく見える古墳を「海浜型古墳」と名付け、海からの視線を意識していること以外の特徴を明らかにしている。
また特に関東を中心に実際の海浜型古墳を詳細に整理している。そうした点に価値のある本だと思う。

メモ

海浜型古墳の特徴
・海岸に向かって張り出した台地や丘陵、海岸線に沿って発達した砂丘など、海に面した一段小高いところに立地。港が近くにあったのかも。
・水田耕作に適した沖積平野がほとんどみられない。
・大型墳が比較的多い。
・前期でも段築や円筒埴輪、葺石といった外部表飾を完備した畿内型の前方後円墳であることが多い。(前期ではこのような畿内型の古墳は上野や吉備以外ではまだ一般化していない)
畿内地域との関わりが強くうかがえる一方、在地勢力との関係が希薄。
大和王権が自陣営による水上交通の掌握を意図し、造営を支援したか。
・安定した首長簿系譜を形づくった例は少ない。

茨城県には、かつて「香取海」とよばれる大きな内海が関東平野の内部にまで広がっていた。そこでは水上交通が盛んだったと考えられており、香取海沿岸にも古墳が分布している。

相模川下流域には前方後円墳が集中。真土大塚山古墳以外は、周辺の遺跡や副葬品から前代の在地勢力との連続性が見られる。
一方真土大塚山古墳や三浦半島の長柄桜山古墳は在地勢力との関わりがうかがえず、畿内勢力とのつながりが想起される。首長墓も連続しない。(海浜型古墳)

日向灘志布志湾の古墳の違い。
日向灘は内陸部に表象豊かで大きな古墳が多く、また古墳の築造も古墳出現当初から続く。一方志布志湾は、海浜部に表象豊かな古墳(海浜型古墳)が多い。