考える生き方 空しさを希望に変えるために

考える生き方 空しさを希望に変えるために
finalvent 2013 ダイヤモンド社

内容、出版者ウェブサイトより

ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、誰もが体験する人生の苦難と空虚感を受け止めるヒントとして話題となっている。読後に得られる考えることへの信頼と「明るい諦観」は一生を支える心強い武器になるはずだ。

感想

ブログ界隈では著名な「極東ブログ」を執筆されているfinalvent氏の半生記。私自身、氏のブログを読んでその見識の高さ、情報収集の広さ、視点のおもしろさを常々楽しませてもらっている。

さて本書を読んでいると氏の姿勢がよく伝わってくる。氏は自分の人生は「からっぽだった」という。本書でも述べているように、確かに社会的に大きな仕事は成していないかもしれない。しかし、一般の視点からみると、けっしてfinalvent氏の人生は「からっぽ」ではないだろう。僕には仕事も家庭も充実しているようにみえる。しかし、そのネガティブと呼びたいほどの低姿勢が、氏の思考の出発点なのだろうと思う。その出発点のもと「世間的に社会的に、自分の人生の意味はないとしても、自分の内面から見れば、それないにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。」というのである。

僕はそうとうポジティブでいい加減な性格なので、あまり理解はできないが、いろいろな人間がいるのが社会だし、だからこそおもしろい。

○タイトルは「考える生き方」という。まさにタイトル通りで、氏が考えてきたことがつらつらとたんたんと記されている。考えることが好きなんだな、と思わされた。考える。何かあると考える。また考える。
そのあり方は、主体である己を外からみているかのような客観的視点がかいまみえ、それが特徴的だ。例えば自分が号泣する場面でも、号泣するぐらいだから感情はだいぶ高ぶっているはずなのに、その筆致は外から眺めているかのようにたんたんとしているのである。

○沖縄で8年間生活し、4人の子供を育てたという。庭にバナナやれグァバやれパパイヤやれが「植わっていた」そうだ。その表現をみるとかってに実がなるようである。いい国だなぁ。沖縄をふくめ、南国人に適当な人が多くても、そりゃそうだよな、と思う。

また、沖縄の文化について次のように考察されていた。
沖縄戦は地上戦だったわけだが、多くの民間人が収容所に入れられたという。焼け野原になり家も食料すらなくなった当時、保護の意味合いもあったそうだ。
それをふまえ、「収容所生活が沖縄の人の戦後の原点だった」と指摘している。とくに食生活にその影響が残っているようだ。

○(新しい技術はどんどんいれかわるので、人文学、社会科学、自然科学といった教養を大学では学ぶべき)、(大学は長い人生の間で勉強を継続するための基礎を身につけさせるべきである)、と指摘している。同意。finalvent氏ほどの教養人からいわれると説得力がある。