鎌倉幕府の滅亡

鎌倉幕府の滅亡
細川重男 2011 吉川弘文館

内容、カバー裏面より

源頼朝の鎌倉入りから一五三年、不敗の歴史を誇った鎌倉幕府はなぜ呆気なく敗れたのか?政変や戦乱の経過のみならず、幕府政治の根幹を成す御家人制の質的変化に注目。定説にメスを入れ、幕府滅亡の真実に迫る。

感想

鎌倉幕府の滅亡を論じた本。具体的には鎌倉時代に起きた政治闘争を追い、幕府の権力の推移を明らかにすることで、幕府滅亡の手がかりをつかんでいる。

なぜ鎌倉幕府は滅亡したのか? その答えを本書からごく簡単に拾うと、中途半端な権力闘争に明けくれ、社会変化に対応できなかったことがあげられるだろう。源頼朝から続く将軍家の血筋が3代で途絶えたあと、北条氏が実権を握ったのは有名だ。その後も、北条得宗家から北条諸氏、その他御家人らの間で、中途半端な権力闘争がたびたび起きた。誰かが周りの権力者を駆逐してグワッと権力を集中できれば改革ができたのだろうけれど、なかなかそこまでいかず半端な争いをくり返した。統治システム、権力システムがついぞ不安定だったこと。本書を読んでいて鎌倉幕府滅亡の根っこはここにあるように思った。

話は変わるが、後期になると増加する訴訟問題に対応できなっていくことが指摘されている(『十六夜日記』を想起させる)。これが御家人たちの不満のひとつでもあるわけだが、武者たちがこぞって訴訟で解決しようという自体、なかなか平和に見えてきて、ちょっとクスッとした。

メモ

・後の室町幕府地方分権的。一方、鎌倉幕府は中央集権的だった。

・後期の鎌倉幕府は支配する側の御家人と支配される側の御家人に分裂。幕府設立当初の、「鎌倉殿の前での平等」という原則は崩れていった。

鎌倉幕府の中枢を占めた特権的支配層は北条氏を中心に複数の武家からなる。彼らは鎌倉幕府の高官たることで富を得ていた。彼らのほとんどが幕府成立以前には在地に多くの所領を持っておらず、鎌倉幕府の要職を独占するようになっても、全国に散在する所領をもつばかり。地方に面として一定の大きさの所領を維持し、所領と結びつきを強めたものはごくごく一部にすぎなかった。
鎌倉幕府の特権的支配層は本来は富の源泉たる所領との結びつきが希薄で、幕府高官たることで政治権力を保ち、都市鎌倉に拠点をもちながら全国に散在する所領を経営する都市領主。

室町時代に多い豪族型領主とは異なったあり方。