地名が語る鹿児島の歴史

地名が語る鹿児島の歴史
平田信芳 H19 春苑堂

メモ

遣唐使の航路は次のように変遷した
 「北路」 博多湾を出航し、壱岐対馬を経て朝鮮半島沿いに北上し、山東半島に向かう
  ↓
 663年、白村江の戦いで敗北し、北路沿いにある新羅国との関係が悪化したため
 「南東路」 九州南端から種子島屋久島、奄美、沖縄を経て、揚子江河口を目指す
  ↓
 「南路」 八世紀後半、博多湾から五島列島を経、順風にのって一気に東シナ海を横断して揚子江に向かう

○朝廷の史書をひもとくと、遣唐使「南東路」整備と、隼人制圧、薩摩国多禰国大隅国の設置、南東への使者派遣といった出来事は時期的に同じである。隼人民族の影響力が強かった地域へ大和朝廷は統治を強化していったわけだが、遣唐使航路の必要性からすすめられたか。

感想

○上にメモした点は興味を深い。遣唐使航路の問題が浮上するまで、中央から遠く、生産力もない南九州の一部地域はあまり重視されてこなかったか。

○本全体に関してだけど、まあ、こういう地名系の本はほとんどそうだけれど、学問的に妥当かどうか判断しがたいよね。
ただ読んでいて、和語の組み合わせに気づき、「はっ」とすることはままある。

本書に関していえば、もうちょい体系だって整理してほしかったなあ。エッセーの集合に近しい。