人が人を裁くということ

人が人を裁くということ
小坂井 敏晶 2011 岩波書店

内容、カバー折口より

我々は裁判の意味を誤解していないか。市民の司法参加が義務として捉えられる日本と、権利として理解される欧米。この違いは何によるのか。また、冤罪事件が繰り返されるのはなぜか。本書はそこから分析を進め、裁判という営みの本質に迫る。犯罪や責任、処罰についての我々の常識に挑み、人間という存在を見つめなおす根源的考察。

感想

○英国、米国、フランスといった、西欧の裁判制度を紹介し、その歴史的・思想的背景などを論じている。

○また、各国の裁判において判決が出るまでの力学、そして各種制度がその力学に及ぼす影響、そもそも「裁く」とはどういうことなのか、などを論じている。
公による「裁き」は社会システムとして重要なものだが、その「裁き」についての多くの知見を得ることができる本。勉強になるものだった。

○(冤罪は絶対起きる。冤罪を減らそうとすれば、どうしても犯人を逃し野放しにする確率が高くなる。一方、犯人をなんとか捕まえようとむちゃなことをすれば、犯人が捕まる確率は高まるが、冤罪も増える)、という至極あたりまえのことを主張しており、でもこんなあたりまえのことを下敷きにして天秤にかけてみせて、司法制度を論じている文章が案外少ないので、好感をもてた。

○犯罪が起きると、その容疑者の精神が正常であったか異常であったか、議論が生じていることをたびたびみかける。心神耗弱はそう簡単には認められないとも聞く。そんななか、以下の指摘に、なるほど、と思った。
「自由だから責任が発生するのではない。逆に、我々は責任者を見つけなければならないから、つまり、事件のけじめをつける必要があるから、行為者が自由であり、意思によって行為がなされたと社会がセンゲンするのである。」p157

メモ

○西欧は職業裁判官より市民の判断に重きをおく傾向。

○英国米国における裁判は、真実を究明する場というより、紛争を具体的に解決する役割を担う。

○職業裁判官は同じ教育、同じような経験を積んでいくので、似たような判断を下す傾向がある。

○日本の有罪率が高いのは、そもそも確実に有罪できそうなものを起訴しているから。