アジアのなかの琉球王国

アジアのなかの琉球王国
高良 倉吉 吉川弘文館 1998

内容、出版者ウェブサイトより

地図を広げると、東アジアの中央に転々と横たわっている沖縄の島々。そこはかつて琉球王国とよばれ、中国や日本、朝鮮、東南アジアと活発な交流を繰り広げる独立した海洋王国であった。王国に隆盛をもたらした国際交流のからくりとは何か。波濤の海を越えた船舶の謎をはじめ国際港・那覇の舞台裏まで、アジアの架け橋となった歴史の風景を旅する。

メモ

○明時代の琉球は、アジア各国のなかで公式ルートを通じて最も頻繁に明に通った国。明と深いパイプを築く。
琉球はこの時代(14C末〜16C中)、明王朝と東南アジア各国(シャム王国マラッカ王国など)を結ぶ貿易の中継地として大いに栄えた。
なぜなら、明王朝海禁政策を採り、中国商人の自由な海外展開ができなくなったからである。その位置にすっぽりはいって利益を得たのが琉球王国

明王朝は馬の調達ルート(一年間に900頭もの馬が輸出されたことも)として、琉球王国を優遇(明王朝は船や人材を琉球王国へ供給)。
明王朝初期は、モンゴル勢が馬の調達ルートを押さえていたため。
その後モンゴル勢を平定し、琉球王国からの馬の輸入は激減したが、優遇策は継続された。

ブログ主の疑問[島の馬は体が小さく、軍事には向かないのでは?]

琉球王国による中継貿易には、中国人商人や中国人通訳のパワーも活用。

明王朝の衰退による海禁政策の破綻、
戦乱の終わった日本人による海外展開、
ポルトガルやスペインの進出
により、中継貿易拠点としての琉球王国は衰退。

感想

勉強になる本だった。琉球王国の中継貿易による繁栄は高校日本史の教科書に載っていることであるが、その内実をより知ることができた。ただ、論拠の薄い部分がいくつかあり、一般向けの本とはいえ、もう少し根拠を提示するとなおよかった。