「社会調査」のウソ リサーチ・リテラシーのすすめ

「社会調査」のウソ リサーチ・リテラシーのすすめ
谷岡 一郎 2000 文藝春秋

内容、カバー折口より

世の中に蔓延している「社会調査」の過半数はゴミである。始末の悪いことに、このゴミは参考にされたり引用されることで、新たなゴミを生み出している。では、なぜこのようなゴミが作られるのか。それは、この国では社会調査についてのきちんとした方法論が認識されていないからだ。いい加減なデータが大手を振ってまかり通る日本―デタラメ社会を脱却するために、我々は今こそゴミを見分ける目を養い、ゴミを作らないための方法論を学ぶ必要がある。

感想

○実態に潜む数値や傾向を導き出し、証明しようとする社会調査。その社会調査に基づいた記事を読むにあたり、注意すべきことを整理した本。
内容自体はクリティカルシンキングを知っている人なら初歩的な内容であり、さくっと読める、さくっと復習できる本だと思う。

具体的には、因果関係と相関関係の違いや質問をする前に特定の印象がすり込まれる場合があること、選択肢の操作によって結果が変わること、母集団に対する注意点などが述べられていた。

内容自体に目新しさはないが、世に蔓延する社会調査の過半数は「ゴミ」だと切り捨てており、実に痛快。僕自身同感できる主張だ。
「ゴミ」だと2,3回いうにとどまらず、数ページに1回は「ゴミ」だと断じており−−−ゴミ社会調査を他山の石として整理している本だから当然なのだが−−−、胸をすくような気持ちになる。まあ、こんなに悪口を書いてある本を読むのははじめてかも。でも冷静に論理的に事実を述べているわけで、しかも、新聞の社会調査など多くの読者に、そして世論に影響するわけで、いい加減な調査は決して許されない。

○バイアスについても整理している。しかし、もっと体系だって整理すべきだと思った。
読み物としてはいいんだけど、なんだかねえ。 勉強しにくいのだ。

メモ

○「 社会調査を研究してきた者として言わせてもらえば、社会調査の過半数は「ゴミ」である。それらのゴミは、様々な理由から生み出される。自分の立場を補強したり弁護するため、政治的な立場を強めるため、センセーショナルな発見をしたように見せかけるため、単に何もしなかったことを隠すため、次期の研究費や予算を獲得するため等々の理由である。そして、それを無知蒙昧なマスメディアが世に広めてゆく。」p23

○「一定の結果が出るよう誘導された調査は調査とは呼べず、ただの腐臭を放つゴミでしかない。」p47

○「 誰がどんな調査を行おうと、通常はマスコミに取り上げられなければ、広く一般的に知られることはない。その意味で、マスコミにはゴミがゴールに入るのを防ぐキーパー役をしてもらわなければならない。ところがマスコミには、自分たちが行う調査を含め、その内容や方法論をきちんとチェックしている様子は見られない。それどころか、とんでもない調査を、発表されるままに記事にしたり、場合によっては故意に悪用することをくり返している。」p57