時砂の王

時砂の王
小川 一水 2007 早川書房

内容、背表紙より

西暦248年、不気味な物の怪に襲われた耶馬台国の女王・卑弥呼を救った“使いの王”は、彼女の想像を絶する物語を語る。2300年後の未来において、謎の増殖型戦闘機械群により地球は壊滅、さらに人類の完全殱滅を狙う機械群を追って、彼ら人型人工知性体たちは絶望的な時間遡行戦を開始した。そして3世紀の耶馬台国こそが、全人類史の存亡を懸けた最終防衛線であると―。期待の作家が満を持して挑む、初の時間SF長篇。

感想

○ネット上で感想をあさったところ、本書の評価はずいぶん高いようだ。
しかし私はいまいちあまりおもしろくなかった。なぜなら登場人物たちにいまいち感情移入ができなかったからである。ヒーローも、「過去のヒロイン」も、「現在のヒロイン」も、それぞれ有能だし、いい意味で少し変わった価値観をもっている。ところがなぜその価値観をもつに至ったか、描かれていないのだ。

「人間に対して忠実」という言葉がある。ヒーローの行動原理であり、本書の一つのキーワードだ。なお、その言葉を発したのは「過去のヒロイン」である。しかし、なぜ過去のヒロインはそういう思いを胸に抱いていたのか、全く語られない。空虚な言葉だ。全く空虚な言葉だ。そしてそれを念頭に置くヒーローの行動さえも空虚に感じてくるのである。

○ヒーローたちは常に困難に立たされるが、その困難を克服するための努力がリアリティをもって描かれていない。ほとんどドンパチするだけだ。周囲の人々を取り込んでいく苦労もほとんど語られないし、魅力的な策を弄するわけでもない。なんだこりゃ。

そして彼らはその困難にあってどう成長したのか? 人間的に変わったのか?

別にほとんど変化していない。ただ困難に振り回されているだけだ。もっとも困難というかほとんどそれは絶望である。しかし絶望は絶望であっても、なにがしかの成長なり変化なりするのが立体感のある人間だろう。
僕には主人公たちの心情の変化が、成長が、ろくに描かれているとは思えなかった。そんな彼らのどこに魅力を感じればいい?

○いまいちよくわからないSF設定。特にラスト。
「我々はこの時点より前に来ることができなかったんだ。なぜなら、我々の時間枝は、たったいま生まれたのだから。」っていう台詞があるんだけど、何が歴史に決定的な影響を与えたかって、わかるもんなの? だいたい「現在のヒロイン」が歴史を作った功績って〈叱咤激励して周りの人々を逃がした〉ですよ。しょぼすぎじゃないですか?
もちろん、そういうのも大事だと思うけれど、その窮地から人類が復活して興隆するまでいくらも重要な分岐があるよね、それは全部無視ですか? 逆にこの過去には無かったんですか? だいたいここで人類を救ったら「叱咤激励して逃がした」っていう歴史変わりますよ? それは大丈夫なんですかね?

また「我々はこの時点より前に来ることができなかったんだ。なぜなら、我々の時間枝は、たったいま生まれたのだから。」が事実だとするならば、タイムトラベルで過去にさかのぼるのは限界があるはずであり−−そしていつの時代なら戻れるかという検討が必要でありこれは大問題だ−−、そんな話、ラストのこの場面になるまで一言も出てこなかった。そんな都合のいい設定ってあるかい。

どっかで、偉大なSFは自動車ではなくて交通渋滞を描く、っていう言葉を見たことがある。もちろんその「交通渋滞」が論理的で説得力があることが大前提だ。いわんや本書においてそれはそこまで昇華されているか? 僕はそうはまったく思わない。

邪馬台国が舞台のパートでは和語を多用するなど、表現上の試みがあった。おもしろい。もっとも、大事なのはそんなことではなくてストーリーであるが。