銀河鉄道の夜 (まんがで読破)

銀河鉄道の夜 (まんがで読破)
宮沢賢治(著) マンガ化した人物不明 2007 イースト・プレス

内容(背表紙より)

貧しく孤独な日々を送る少年ジョバンニ。祭りの夜に一枚の切符を手にしたジョバンニは、親友・カンパネルラと宇宙を走る銀河鉄道に乗り、夢のような不思議な旅に出る。奇妙な乗客たちを乗せた汽車はどこへ向かうのか? 「ほんとうの幸せ」とは? 宮沢賢治の不朽の名作童話を漫画化

感想

○正直、宮沢賢治の作品はマンガ化に向かないと思った。

だってさ、こんな文章を映像化するんだぜ?

 カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌てのひらにひろげ、指できしきしさせながら、夢ゆめのように云っているのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」
「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
 河原の礫こいしは、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲しゅうきょくをあらわしたのや、また稜かどから霧きりのような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚なぎさに行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮ういたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光りんこうをあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。


いや、この文章が迫ってくる硬質な美しさというか、怪しくきらめく心象風景を映像化するのは物理的に不可能でしょ。

この「銀河鉄道の夜」でいえば、作品のプロットというよりも、宮沢賢治独特の特異な感性によって描写された風景を、文章として読み味わい、頭の中でその言語的な背景をふまえながら想起することが魅力だろう。だから誰かによって映像化されたものを見るというのには合わないのだ。

自分で言葉の背景をうっすらとつなぎながら幻想的な世界を想像してみる。それは宮沢賢治の描く世界であるのと同時に、読者の経験や文学的背景で構成される読者自身の世界でもあるのだ。そしてその世界の、文章表現によってもたらされる豊かさこそが、宮沢賢治の魅力なのだと思う。

○ただ、物語の流れを把握するのには役だった。本書は、「銀河鉄道の夜」を自分なりに読み込む、その導入にはいいかな、と思う。