穢と大祓

超おすすめ!
穢と大祓
山本 幸司 1992 平凡社

内容、裏表紙と表紙より

日本の古代から中世にかけて“穢”を巡って様々な規則や禁忌が存在し煩わしいまでに人々の日常生活を支配していた。
断片的かつ煩瑣な資料を通じて当時の人々の意識に内在化し穢の観念を分析すること、社会の成員が共同して作り上げそれによって自ら拘束されてきた規定的観念として即時的に検討することは重要な課題ではないだろうか。
穢に対する禁忌が支配してきた点ではカースト制が強固に維持されてきたインド社会が有名だが古代ギリシャもまた穢の観念が日常生活の中で重要な役割を演じていた社会であった。
これから展開する分析は普遍史的な連関を念頭に置いた試みである。

穢は例えば死体とか汚物とかのような具象的で可視的存在に付随していたとしても、それ自体が具象的・可視的な存在なのではない。したがって穢を問題とするということは、ある事物ないしある事象を以て「穢」と認める、特定社会における人間の分類意識・分類基準を探ることに他ならないのである。

感想。

○古代祭祀や民俗学に興味のある人は、特におすすめできる本。

私は、神話や伝説、そして自然・闇に対する恐怖・畏敬の念に彩られた(あるいは拘束された)古代の人々の世界認識・世界観に興味をもっていた。そんな私にはぴったりの内容であった。

○本書は主に平安時代を中心に、貴族の日記や寺社の記録といった文献に残された−−−つまり高級貴族たちの世界における−−−穢れの例を豊富に紹介し、分類、論究しており、当時の貴族たちが何を「穢れ」として恐れ忌避していたかが分かる。特におもしろいな、と思ったことが、穢れが自分に及ぶことを恐れているのではなく、神体、神事、神にもっとも接近する存在としての天皇に穢れが及ぶことを恐れていることだ。
本書も指摘することだが、穢れの例を見ていくと、死が身近に存在する平安京において穢れというものは日々否応なく生じるものであることがよくよく分かる。自らが穢れるのは生きている以上避け得ない。ただ穢れを神聖なものに近づけない、ということは守らなければならないようだ。

なおその一方で、穢れに対する貴族たちのいい加減な対応−−−例えば穢れているのに黙って神聖な仕事をしたり、何をどの程度の穢れとするのか人によって考えが違っているなど−−−もかいま見え、「穢れ」という概念とそれを忌避しなければならないという祀り(政り)システムの揺らぎもうかがえた。

○本書は平安時代を中心に、穢れが記録された例を集めている。穢れがごく当たり前のものとして社会システムに内在するのならば、当然、穢れは自明のものであり、そんなものはなかなか記録されない。穢れに対し「適正な」対処を行っていれば、いちいち記録するに及ばないだろう。よっぽど重大な穢れでなければ。

本書で掲載されている穢れの例は、穢れに対する対処が不適切だったり、そのせいで周囲に悪影響が広がったものが多い。だからこそ断片的ではあるが記録されたともいえる。だいたいがこんな例である。

死や出産によって発生した穢れが誤って内裏に持ち込まれた!!
行事をする場や行事に参加する人が穢れたため、行事の延期、ないしは中止が余儀なくされた!! あるいは場所や人を変更した!!

○本書で描かれているのは、穢れの例を集めているからだが、死の蔓延するおぞましい平安京の様子。

貴族の屋敷に死体が投げ込まれたり、イヌやカラスが人間の死体(あるいはその一部)をくわえて屋敷に入ってきたり。
建物や橋の工事では死体が発見され、遣り水に死体が流れ込んだりもする。

死の蔓延する世界。
有象無象の人々が集まり、死体が日常にあるその様子からは、力が支配するヒャッハーな世界をイメージさせられる。

これ以上ないほどある種、リアルな古典世界だった。頭では分かっていたけれど、貧しさと暴力が支配する世界。

中高の古典教育を通して、かつてはこういう世界だったということを、もっともっとイメージできるような指導も必要だろう。古典世界を多面的に捉えるためにも、社会の在り方そのものを考えていくうえでも。

○本書は、貴族やその役職の名前が何の前置きもなくパッパと使われている。専門家を対象としているからだろう。
僕のような素人には、その貴族や役職の様子がイメージしづらく、頭にすんなりと入ってこなかった。
もうちょっと説明がほしいなあ、と思った。

メモ

穢れの発生するもの→人間や家畜の死や出産、火事

「小児などの死体を犬が食べて運んでくる、いわゆる「喰入(くいれ)」は資料に頻出するもっともありふれた穢の一つ」p18

(穢れを考える上で頭部の有無が重要視された)p18

(からからになった白骨は穢れとならないのが慣例。)p21

「神社や神事そのものと関わらなければ、流血に触れること自体が忌まれることはなかったのではないかと考えられる。」p25

古代ギリシャの事例などと比べて日本の死穢の観念で特徴的な点は、殺人が死穢一般ととりわけ区別されていないこと、また殺人者が持続的に穢とされることがないことである。」p25

(同じ建物や敷地内などといいった限定された空間で発生した穢れは少しずつ弱まりつつも、そこにいた人、そしてその人を介して他の場所に伝染する(火事の穢れは伝染しない)。
一方、路や橋、荒野、河原といった解放された空間で発生した穢れは基本的に伝染しない。)p54

(水も穢れを媒介するものになりうるが、とどまっている水は穢れを伝染させ、流れている水は穢れを伝染させない。)p68

「穢とは、人間の属する秩序を攪乱するような事象に対して、社会成員の抱く不安・恐怖の念が、そうした事象を忌避した結果、社会的な観念として定着していったもの」p77

(穢れは伝染するが、同席すること、あるいはそうして共同で飲食をすることが伝染する条件だった。穢れというのは同質化と連続性の観念に由来するもの。)p83

(死による穢れを防ぐため、死期の近い召使いは屋敷の外に放出された。それが病人の死期を早めたとしても当時の社会にあっては当然の行為。)p90

天皇は神の前では神を祭る人間の代表として、人文・自然界の現象すべての安定について責任を負う存在であったと言ってよいだろう。そのため天皇は、神に最も接近する立場からほとんど神と同じくらい穢を忌避すべきであると同時に、他方では、神に穢が及んだような場合には、神に対してその責任を取らねばならず、時によっては神罰さえ被らなければならなかったのである。」p97

(「大祓」という神事があるが、これは穢れを祓うためというより、祭や行事の中止や延期を補うためのものと考えられる。)p170

(神を中心に形成された秩序を損なうもの=穢れ
それに対し神が怒り、人間社会にもたらされるもの=災い
穢れを生じさせた人間の行為=罪
そうした罪を謝罪し神との関係を再確立、国土の安全と自然の循環を確保するための儀礼=大祓)p210

(本来、仏教は死を穢れとして忌避するような思想は内在されていない。しかし鎮護国家のための仏教においては穢れは忌避されていた。
しかし説話の中には、穢れに触れることをいとわず、穢れという禁忌を克服していこうという仏教者も出てくる。このような動きが鎌倉時代になって結実していったのが、鎌倉新仏教と呼ばれる諸派。)p262
「仏教の原点を見据え、市井の貧しい庶民はもちろん、身体的あるいは社会的差別を受けていた人々にまで救いの手を差しのべ、また彼等のうちにその担い手を見出していったこの種の仏教は、鎮護国家の道具として将来された仏教が穢を忌避しつつ、宿痾や疾患に悩み、救済を求める人々を、僧侶になることからも、あるいはまた極楽往生の途からも閉め出していたのに比べるとまさに対極にあるといってよい。」p162