神々の風景 信仰環境論の試み
神々の風景 信仰環境論の試み
野本 寛一 1990 白水社
内容(「BOOK」データベースより)
山・森・岬・浜・洞窟・巨岩・池・滝などは、風景の中心的存在であると共に、神々の坐す聖なる場であった。《眼》という角度から、日本人の聖地観と信仰心意を探究する、従来の民俗学の枠を超えた画期的労作。
感想
○「岬・浜・洞窟・淵・滝・池・山・峠・山の決壊点・川中島・立神と湾口島・沖ノ島・九鳥間島・温泉・地獄と賽の河原・磐座」p11等の伝承や信仰の在り方を紹介。
僕も同じような問題意識をもって神社やいわくら、古墳といった聖地をめぐってきた。
近代的価値観、科学による世界理解に「汚染」されていない古代人のみた世界を僕もみたいと思い、その手がかりが各聖地にあると思ったのだ。聖地に込められた祈りのかたちや社や山、支配者の古墳の配置をみていくことで、古代人の感じた祈りや願い、恐怖が理解できるような気がするのである。
○本書は種々の聖地とそこに伝わる信仰を多数紹介した本。個々の例はそれぞれ興味深くておもしろい。ただ個々の論究自体は常識的な線におちついていて、、、たくさんの聖地の例を集めました、ってだけな感じ。じゃあそれらを集めてどんな新規な事実、風景が見えてきたの?、と問うのならばあまりそれに解答は出し得ていないと言わざるをえない。
この点は残念だ。
○第五章では日向神話の聖地(高千穂、笠沙、鵜戸神宮など)がとりあげられており、懐かしく思って読んだ。私の故郷、鹿児島に近く、日向神話の聖地にも足を運んだことがあるからだ。
日向神話については僕自身、本書を読む前からいろいろと思うところがあった。
なんでこんな辺境の土地の神話が中央神話に取り入れられたのだろう? 出雲神話にはさすがに及ばないにしても、中央から遠く離れた地なのに大きな扱いを受けている。山幸彦と海幸彦の物語の舞台でもあるし、神武天皇の降臨の地でもある
九州最大の前方後円墳も日向にあったなあ。
九州南部といえば、最後の方まで大和王権に抵抗した隼人民族の地として知られるし、その分、彼らを押さえ込むため大和王権も直接軍事力を行使したり、あるいはその地方の大和王権に与する勢力を援助しただろう(長島や日向、大隅半島の太平洋側に古墳が集中しているのはその証左だろう)。
そこら辺が、日向神話が大きく中央神話に吸収された理由だろうか?
もしくは、辺境の地である、ということが重要だったのかもしれない。
中央から遠く離れたこんな地まで、我が先祖たちが足跡を残してきたのだゾ、と。
メモ
(信仰は地形や太陰周期という自然環境条件ぬきには考えられない。)p8
(海辺の人々は、神聖感の強い場を神々の座と定め、そこの植物を守り、岩石を汚すことを禁じてきた。)p8
(背筋を走る電撃に身を震わせ粛然と身を正す場が、神々の座である。
そういう場は魂のやすらぐ原風景であり、先人たちの願い憧れ祈りなどがよみがえってくる。)p10
(昔の人々は苦渋と汗とで峠を越え、またそうした峠は世界と世界の境界でもあり人々は心の切り換えをしてきた。一方、現代の人々はトンネルで駆けぬけてしまう。現代人の風景観は、転折の感慨と思考を失いなんと平板なことか。)p93
(宗像三女神について
田心姫↓
日本書紀では「田霧」とも書かれ、視界をさえぎり航行を妨げる霧を神格化したものと考えられる。
湍津姫↓
激しい海流を神格化したものと考えられる。
市杵嶋姫↓
島(沖ノ島?)を神格化したものと考えられる。)p132