一枝の桜 日本人とはなにか

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一枝の桜 日本人とはなにか
フセワロード オフチンニコフ (著), 早川 徹 (翻訳) 原著1970 中央公論新社

内容、カバー裏表紙より

日本人の美的世界・倫理的世界を善意な眼差しで概観しながらも、「慇懃と粗暴」「礼儀正しさとモラル破壊」「思慮深さと見栄っ張り」「同情心と冷淡」「慎み深さと思い上がり」といった相反する要素が両立する謎について、言語・風土・社会的要因から解明する。一九七〇年代にベストセラーとなった稀有な日本人論を初文庫化。

感想

○出版された年が1970年ということで、礼儀正しさや美に対する日本人の深い造詣について述べている点、なんだか「古き良き日本」と考えられているものを見ている気がした。逆にいうと、それら美点は現代に至ってはもう、ほとんど失われていると、僕は思うのである。

もっとも、幕末から明治初期にやってきた西洋人の日本に対する記述をまとめ論究した本を読んだことがあるが(渡辺京二『逝きし世の面影』http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20090524/1243131867)、それは本書でも述べられている日本の美点と重なるところが多いと思う。
実際本書でも、幕末から現代に至る−−といっても1970年現在だが−−ロシア人による著者と共通した内容をもった日本人評が多数引用されているのだ。

つまり、これは一体何を意味しているのか。考えられる可能性は二つである。


一つは、西洋人たちが感じてきた日本特有の美点は少なくとも1970年あたりまで残っていた(今はほとんど西洋化・近代化の影響で失われた)という可能性。

もう一つは、西洋人たちが感じる美点というのは、表現通り 《 西洋人たちは 》 発見できるが、日本人には身内のことからか、気づくことができない・見ることができないという可能性だ。
突拍子もない考えにみえるかもしれない。しかし、幕末から第二次世界大戦にかけて大きく日本は変貌したと私たち日本人はいわざるを得ないにもかかわらず、その日本に対する西洋人の印象に大きな変化がないとするならば、そこに《西洋人特有の目》あるいは《外部の目》という問題を設定することも十分に可能だろう。

今後この後者の可能性を追求してみるのもおもしろそうだ。

○日本の国土も日本人の特性も、時代によって急速に変化しているのは間違いない。現代の日本はどうあるのか? これについて考えるとき、実際の「現代の日本」が問題であるのはもちろん、それを「見る者の目」というのも同時に問われるべきだろう。

学問としての文学のなかに、享受史というものがある。ある作品そのものを論考するのではなく、ある作品がどのように社会に論究されていったのかを論究しようというものだ。
ある作品それ自体を問題にするのではなく、その《作品を見る社会の目・知識人の目》、そしてその歴史や変化を追究しようとするものだ。

この享受史という概念を導入するのは少し大げさかもしれないが、新聞にしろインターネットにしろ、日本について言及している文章を読むにつけ、その論者の《日本を見る目》はいかなるものなのか、もっともっと自覚的であってもいいように思う。

そうすることで、「日本に対する言及」を相対化し、その妥当性を評価する一つの手がかりになり得ると思うのだ。

○本書はかつての日本人の特徴について、良いところ・悪いところも含めて多面的に考えることで、日本人や日本社会を立体的に捉えようとしている。そしてなんとか、西洋人にとっては相反しているようにみえる所作の奥にある論理を見定めようとしているようにみえる。

○義理人情の話とか、「分」を守ることの話、景観の話、美意識の話などなど、日本論をいくつか読んだことのある人にとっては耳にしたことのある指摘も多かったが、本書は巧みな具体例や比喩をもって、するどく的を射ていた論究がほとんどだったと思う。
うんうん、うなずきながら読み進めた。

○一章一章がまとまりをもち、章末にまとめをおいているので、非常に内容を読み取りやすい。

メモ

(日本人は礼儀正しいがそれは個人的関係に限られたもの。社会の一員としての行動には(群衆に対しては)礼儀正しさはない。)p33

(日本はすっかり近代化(西洋化)したように見えるが、その奥には伝統的な在り方が背景に残っている。)p36

「日本精神のなかには三つの宗教がその足跡をのこしている。シントウは日本人に、自然の美にたいする鋭い感覚と、清浄を愛する心と、かれらの祖先が神であるとの伝説の影響を植えつけた。仏教はその独自な哲学で日本の芸術をいろどり、運命の無常さにたいする生まれながらの牢固とした精神を日本人の心に定着させた。最後に儒教は、道徳の基盤は忠誠心であり、それは年長者と上司の恩に報いる義務と解釈される、という思想を持ちこんだ。」p56

(自然との調和を求めようとするひたむきな心こそ、日本芸術の主な特色。中国芸術は人間の全能さを主張。日本の芸術は人間の意志を素材に押しつけるのではなく、自然がその素材のなかに有している美を取り出そうとするものである。例:陶芸、料理)p60

「日本人は美しいことと、用途にかなっていることを同一視する習慣がついていて、どんな家具什器にも美と実用性が結びついている。」107

(「自分の分を守れ」とする日本の行動規範は、組織やこれまでの習慣から逸脱することを禁じ、人々の自由で創造的な発想を奪っている。)p119

(日本人の礼儀正しさは上下関係のなかの礼儀正しさ。日本の行動規範は、赤の他人にたいする礼儀正しさにはほとんど触れてこなかった。)p159

(都市景観の醜さ。建物が調和をとらずまき散らしたように無秩序に立ち並んでいる。)p198

(先祖のように農民として田畑を耕して働くより工事現場や工場で働いた方が4倍も多く稼げる。結果、田畑がほったらかしにされていることが多い。過疎化。灌漑施設や洪水防護施設も駄目になりかけている。農村に残る女性たちは都市へ去った夫の代わりに過重な農作業を引き受けている。農村は疲弊している。)p213

「自然の美しさを知っている国でありながら、自然の美しさにたいして、まことに驚くべき侮辱が加えられている(各種大規模公共工事に対し)」p215

(農村の女性たちは、結婚の持参金を稼ぐために5〜7年間都市に働きに行っている。彼女らの低い賃金とその繊細な仕事ぶりが、日本の電子製品や繊維製品の世界市場における飛躍の原動力となっている。)p249