ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記

ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記
小林 和彦 H23 新潮社

内容、背表紙より

早稲田大学を出てアニメーション制作会社へ入ったごく普通の青年がいた。駆け出しながら人気アニメ作品の演出にも携わるようになったが、24歳のある日を境に、仕事場では突飛な大言壮語をし、新聞記事を勝手に自分宛のメッセージと感じ、また盗聴されている、毒を盛られるといった妄想を抱き始め…。四半世紀に亘る病の経過を患者本人が綴る稀有な闘病記にして、一つの青春記。

感想

○巻末の解説によると、統合失調症罹患者の内的世界、心象世界を描写した記録は少なく、その点からも本書は価値があるという。p376

ちなみに記録が少ない理由は、
(1)自分がどんな病気にかかっているかという認識が不十分か欠如している者が多く、病状を客観的に捉えることができないから。
(2)思考力、判断力、推論力に衰えがみられる者が少なくなく、複雑な心理現象をまとめて表現する能力を失っていることが多いから。 だそうだ。

統合失調症を患った人物の見た世界が描かれている。俗な言い方をすると、狂人の妄想世界が描かれている。
著者は身の回りに起こる大小さまざまなことのいろいろを、自分に引きつけて考える。自分に関係するものとして考える。そしてその考えはほとんど、自分に害するもの、あるいは害あることの象徴としてみてしまうのだ。
精神病の専門家でない私からいわせれば、度を著しく突破した、常識はずれの被害妄想に思えた。

○著者は、世界は問題があるという意識をもち、その問題を何とか解決しようと考える。
世界をシステムとして捉え、種々の課題をシステムの課題としていることに共感した。私もそういう考えの持ち主だ。世を批判したり道徳心を説くのもいいが、それでは社会は変わらない。社会問題をシステムに由来するものとして捉えるべきだ。システムをどう変え、人間の行動に影響を及ぼし、社会問題を解決していくか? それが問題なのだ。
システムに焦点を当てるという点で私は著者に大いにシンパシーを感じたのである。

○度し難い被害妄想で構成された世界描写。
言語化された幻視・幻聴の世界。とめどない被害妄想。
ときにおもしろく納得させられることも述べている。

なんかすごいことが書いてあるゾ。
半分くらいまで夢中に読んだのだ。

○でも、後半を読んでいくにあたり、ハタと思いいたった。
著者の言はひたすらに自分のことしかみていない。周りを冷静に把握できていない(まあ、そりゃそうだ、著者は狂ってるんだから)。そんな人物の言葉を、妄想話を読んでいったい何になるのか、と。世界を変えたい変えたい、と連呼するだけで、有効な計画も立てられないし実際の行動もできない著者の話に管を巻かれた感じがしだしたのだ。

○著者は、おニャン子クラブを発想の元にして、市井の人々の種々の関係性を描いたアニメをつくろうという企画にとりつかれる。これが、統合失調症の症状が現れた契機だった。
著者はその後、被害妄想的な世界に苦しみつつ、この企画を成立させんと周囲の人に異常なまでの情熱をぶつける。

それにしてもなんてチグハグな企画だろう。
おニャン子クラブを私はよく知っているわけではないが、TV的アイドルの代名詞として有名だ。本人たちに自覚があるなしにかかわらず彼女らは、巨大な利権や種々の欲望の渦巻く、拝金主義とでもいおうか、なんと表現しようか、そういうもろもろの権化といえるだろう。彼女らは画一的なメッセージであり、またマスメディア的なメッセージでもある。
そんな彼女らを発想のもとにして、「市井」の人々が日々生にしがみついていく中で生じさせている人と人との種々の関わりを浮かび上がらせようというのだ。

おニャン子クラブにそのようなさまざまな関係性を描くという発想を生じさせるだけの豊かな体系があったのだろうか。限りなくマスメディア的な彼女らにそんなものがあるとは思えない。

なんともチグハグで皮肉な話である。

○アマゾンに以下の書評が投稿されていて思わずうなってしまった。

「著者が今までこの病と闘い(つきあい)続けて来れたのはまずは医師、家族(父親、妹)、友人、職場等の支援が大きいと見受けるが、その背景には著者自身の持つ優れた知性、旺盛な読書、音楽や映画関連の豊富な知識もさることながら、何よりも著者の持つ“性善”的な人間性があると思う。

「flyhigh21氏:統合失調症を患うとはどういうことなのか?多くの人に読んで貰いたい」http://www.amazon.co.jp/review/R1X6AG9CTZKEU6/ref=cm_cr_dp_title/376-5481483-2797219?ie=UTF8&ASIN=4101354413&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

最後にある「“性善”的な人間性」という指摘。
確かにそうだ、と思った。著者は被害妄想をしつつ、周囲の人々を信じているようだ。なんだかんだいっても最後の最後には誰かをなじったり悪意をぶつけることはなかったと思う。心の底では人間を愛しているのだろうか、そんな感じだ。そして周囲の人々の善意に安心して身を任せているようだった。

メモ

「男は女に惚れることによって強くなる。」p28

(アメリカによるリビア空爆の報道に対して…
知りたいのは空爆の実態と両者の思惑。どっちが善か悪かというのは個人個人が下すものであって、報道機関に下してもらいたくない)p56