御柱祭と諏訪大社

御柱祭諏訪大社 [単行本]
上田 正昭 (著), 五来 重 (著), 宮坂 宥勝 (著), 大林 太良 (著), 宮坂 光昭 (著) 1987 筑摩

内容(「BOOK」データベースより)

信州・諏訪の御柱祭は山奥から巨大な神木を曳き降ろし、社殿の四隅に建てる勇壮華麗な祭りである。雄大な謎を秘めた聖域空間とその祭りの意味を追求し、古代人の世界観と厳かな祈り、現代にまで到達する日本人の心の歴史と深層を浮き彫りにする。

感想

諏訪大社に関するもろもろを、日本史、民俗学、考古学、地方史、仏教史など、様々な視点から論じた文章を集めた本。

○僕は諏訪大社が大好きだ。理由はたくさんある。
あげればきりがないがパッと列記してみると、

一 敗者の神話を吸収して成立していった日本の中央神話であるが、諏訪神話自体、その中央神話に吸収されつつ、自身も勝者(神氏)となりて敗者(守矢氏)の神話を吸収している、入れ子構造を成していること。日本神話の特徴を体現していること。

一 地方神話が他の地方に比べ非常に良く残っていること。

一 日本屈指の古い霊域であること。それが複数残っていること。

一 御頭祭や御柱祭など、多くの奇祭、風習が残っていること。

一 ミシャグジ神という神様が伝わっているが、それは権力者の家にも祭っていることから個人神の可能性があり、そうであれば古代人の精神構造の残滓にふれられること。
(ギルガメシュ叙事詩によると古の人には自分に命令する神様、個人神がいたようである)

一 権力闘争に負けた方(守矢氏)も、その宗教的影響力を利用し、巧みに権力を保持していること。

一 近い歴史まで諏訪氏童子に神を降臨させる、現人神の風習が残っていたこと。

一 聖域の四隅に巨木が立つ特異な様式の神社(標準から抗うことができた、いろんな意味で)。そしてそれが、諏訪地方のほとんど神社にみられること。諏訪地方全体が、諏訪大社の影響下にあることをみせつけているかのよう。

一 温泉の出る土地。

一 盆地の中心に湖があって、その周辺に街が広がる特徴的な地形。

などなど。諏訪大社に興味のある人はいい勉強になる本だと思った。

メモ

○「少なくとも『古事記』神話の完成時には、諏訪のタケミナカタは国ゆずり最後の抵抗神であり、その鎮座地は特異な聖域と認識されていたことがわかる。」p10

○(風土記編纂事業のすぐあと、わずか十年間とはいえ、諏訪国が信濃国から分かれ独立。わざわざ信濃国を二分して諏訪国を独立させることになったのは、諏訪の信仰や特質が影響したに違いない。)p21

○(神事に必要なミシャグジを降ろせるのは、大祝の神氏ではなく、神長官の守矢氏。守矢氏はこれにより祭祀の主導権・司祭権を保っていた。進入神(祭られる側)と地元神(祭る側)、古代諏訪の権力交替と融和を暗示している)p22
(進入した新しい神は、祭られる側に地元神を憑けてもらわないと神になれない(守矢氏口伝の秘法)(しかもほの暗い穴の中で行われたりする、ウゲッ怖い)。「ミシャグジ降ろし」)p29

○(ミシャグジ信仰は、縄文期のシャーマニズムの色が濃い)p23

○(ミシャグジ社は古村では産土になっていることが多い。古村では農耕に適する場所にあることが多い。ご神体には縄文時代中期にみられる石棒が入っている。)p24

○(諏訪の原始信仰であるミシャグジは、上社の現人神である神氏が大祝として祭られるようになってからも神事に現れ、現代まで続いている。古代の新旧二つの信仰が一つに融和、共存しているのが諏訪信仰の大きな特質。)p27

○(縄文時代、巨木信仰があった。諏訪大社御柱祭と同じように、巨木を切り倒し、引きずって移動させ、地面に立てた遺構の残る遺跡が発見されている。(寺地遺跡、チカモリ遺跡など)
御柱の原型?)p61

○(御柱祭は、外なる山から内なる里へ幸をもち込む、という構造)p80

○(「蛙狩の神事」は、生贄のカエルを蛇神に備える儀式。そして、諏訪神社伝承の中には、神長洩矢神がカエルで、征服者大祝がヘビだという神話が多い。暗示的な神事。)

○(上社と下社は男神と女神というかたちで対になっている。それだけでなく、上社は(狩猟、神、春、山的)性格、下社は(農耕・漁労、人、秋、湖的)性格をもった祭儀が多く残されており、対照を示すとともに互いを補う関係になっている。)p118