石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」

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石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」
岩間 敏 2007 朝日新聞社

内容、アマゾンより

筆者は元石油公団理事。その「石油屋」が、「アブラ」を縦軸にして太平洋戦争を読み解く。航空用ガソリン精製の日米技術力格差、真珠湾攻撃の「石油施設見逃し」事件、サハリン・中国・中東の油田開発の大失敗、さらには、タンクの「最後の一滴」まで吸い上げられていた戦艦大和の燃料の秘話、海軍官僚の南方進出欲に踊らされた国政担当者の弱腰ぶりなど、知られざる事実満載。現在に続く「石油と戦争」の深い関係が断然よくわかる。

感想

○石油を視座に、大日本帝国における太平洋戦争を読み解こうという本。

言われてみれば、大日本帝国アメリカによる「石油禁輸」に対応しようと太平洋戦争をはじめた。たがために主たる進軍目標は南方の油田地帯だった。しかし、この国は、アメリカに敗北してしまう。
ズタボロに負けてしまったわけだが、もっともよく世間で言われる敗因は、ロジスティクスの軽視だろう。そしてその内実は、戦争における血液とまで称された石油の流れを追えば、象徴的に浮きぼりにされるだろう。

これらの点で、「石油」という視座は、先の太平洋戦争を日本から眺め分析するにあたって、もっとも重要な視座の一つなんだな、と本書を読んでいて思ったのだ。「石油」という一つの視点だけで、太平洋戦争における大日本帝国の有り様や戦略、敗北の大まかな流れをつかむことができるのだ。

○本書で紹介される多数の具体例から、日本のロジスティクスの軽視ぶりは明らか。
旧日本帝国軍が兵站を軽視していたことはよく主張されるが、こういう小話的具体例は勉強になる。読んでいて目を覆いたくなるものばかりであるが。

○日本にとって都合の悪い厳しい――しかし現実に即した――分析が、将兵たちにあがってきてもなぜか彼らはそれを黙殺し、日本にとって都合のいいように事態が推移するに違いないと盲信し、政策・戦略を決定している話も載っている。
そういえば半藤 一利の『昭和史』でも同じことが指摘されていた。(http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20120728/1343401306)
「本書では、太平洋戦争を石油の視点から見てきたが、その中で「情報の軽視」「専門知識の不足」「その場しのぎの対応」など政策決定集団の組織、能力に多くの問題があったことを明らかにした。」p233

メモ

○太平洋戦争の契機となったアメリカによる日本への「石油禁輸」は、世界で初めての石油危機。

○米軍はもとから日本の海上輸送網をねらって攻撃。輸送網はズタズタにすることに成功。
日本は南方の油田をすばやく占領したが、その石油を本土に送る輸送路(オイルロード)を維持できなかった。
日本には補給や護衛という概念がなく、交戦によって勝敗が決まるとする戦闘中心主義をとっていた。
ゆえに海上封鎖して工業生産力を低下させようとするアメリカのロジスティクスをついた戦略を理解し、そして対応することができなかった。

○旧日本軍は南方の油田を確保するため開戦の1年以上前に落下傘部隊が訓練を開始。開戦早々に、南方の油田を制圧するとともに、「採油部隊」を上陸部隊と同時に投入した。
もっとも、油田の制圧には成功するも、オイルロードを維持できず。

○敗戦直前時において日本における石油の備蓄は完全に払底。国内経済は残り数ヶ月で機能不全に陥る状況だった。

○油田発見の報が流れたサウジアラビアに日本は使節を派遣するが、米国に監視されていた。

○太平洋戦争前夜には発見できなかったが、実は満州に油田があった。探索は国家機密だったため、アメリカから最新の技術を導入して探査せず。

樺太にある石油の権益を保持していたが、ソ連と敵対関係になり、それを失ってしまう。

○1939年において、原油生産量は、アメリカは日本の740倍。石油精製能力は52倍。さらに、アメリカの方が高品質なガソリンを作ることができた。

真珠湾奇襲攻撃では、敵艦船にはダメージを与えるも、ハワイ島の石油タンクや工廠は攻撃目標とせず。後に米軍の活動が速やかに回復する原因となってしまう。

○熟練工が徴兵されたため、未熟な工員ばかりのなかで戦闘用航空機を製造することに。そのため、航空機にトラブルが多発。