古墳とはなにか 認知考古学からみる古代
古墳とはなにか 認知考古学からみる古代
松木 武彦 2011 角川
内容、カバー裏より
なぜ前方後円墳のような巨大古墳が生まれ、そして衰退したのか。竪穴式石室から横穴式石室へという大転換はどうして起きたのか。長をまつる巨大な墳丘を「見上げる」行為や、埴輪や副葬品、石室の位置関係やつくられ方を、ヒトはどう感じ考えるかという心の動きの分析から解明。「神格化の舞台」から単なる「墓」へ。3世紀から7世紀の日本列島に10万基以上も築かれた古墳とは何であったかを問う、認知考古学からの古墳時代論。
メモ
○弥生時代になると、墓に地域性がみられ、墓に集団への帰属や死生観が投影されるようになる。p14
また墓に対し、その意図的な配列や規模・副葬品の差から、披埋葬者同士の関係性、結びつき、社会的位置付け、序列も投影されるようになる。p21
○2世紀後〜3世紀前には、親族墓→個別墓へ。
同時期に大農村が衰退し、市や工房をもつ他地域との結節点となる大きな町が出現。墓の有り様の変化は町の成立による、出自集団から個人or個人+その兄弟へと行動の単位が変化したからではないか。
○「初期の前方後円墳の分布をみると、奈良盆地を中心とする畿内と瀬戸内海沿いに大型のものがあって、九州北部や山陰には少ない。つまり、前方後円墳の築造は、どちらかといえば鉄器が乏しかった地域で盛大におこなわれ、よく行きわたっていた地域ではかえって低調だったふしがある。」
(周囲の村々は鉄器が乏しい中で、大規模な前方後円墳には最新の技術で作られた大量の鉄器が副葬された。)
(九州北部、山陰 → 鉄は必需品として流通、
現実的な支配者
畿内、瀬戸内海沿岸 → 鉄は貴重品として流通、鉄の広範囲の流通や加工技術の獲得には地理的要因ゆえ遅れる
鉄に心理的な価値をのせ、これをコントロールする自分を神格化)p67
「神や宗教は満ち足りたところよりも満たされないところで発生し、成長する。」p127
○箸墓古墳をはじめとする多くの大型の前方後円墳は、前方部からくびれにかけて低くなり、また後円部に向かって高くなっていくという、逆放射線状のスロープになる。前方部がバチ型なのも、前方部の前の方を高く築くため(支えるため)。
円筒埴輪もこのスロープ通路を囲むように巡らされていた可能性が高い。
前方後円墳はいったん下って上がる、天空のスロープ。古墳の表面には葺石。通路は円筒埴輪で囲まれる。p85
○弥生時代 → 古墳時代
木でできた埋葬空間 → 石でできた埋葬空間 p95
○古墳の発生について
「主を、神またはその媒介者にまつりあげることによって自分たちの安寧や救済を願う新興の宗教(カルト)が、三世紀前半ごろに列島の広い範囲で教義を合一させ、畿内をその本拠地として全土的に広まったことの反映」p125
「葬られた人の社会的な位置づけを、死してなるべき神としての格や出自に置きかえて演出する舞台装置」p129
○古墳の集中する場所 → 長たちの系譜
○三世紀後半から四世紀中ごろ、巨大前方後円墳は大和の奈良盆地東南部に異常に集中。
巨大墳の集中は、地元の長に加え、他の有力な地域の長も、政治的な関係を互いに演出するために、奈良盆地東南部に墳墓を集めたためか。被葬者たちは列島政治のサミットメンバーといえる。
このころ地方においては、豊かな地域ではなく有力とは言い難い場所にある程度大きな古墳が築かれている。これは最有力の地域の長はオオヤマトに出張って古墳をつくり、その次のランクの地域の長たちが地元に盛んに古墳を築いたから、と考えることができる。
○四世紀後葉になると、オオヤマトに一極集中していた巨大前方後円墳が各地に林立して営まれるようになる。政治的経済的権力の多極化。もっとも、古墳形式や副葬品の共通性が増しているため、政治的文化的なネットワークにおいては、ますます緊密に繋がっていた、と考えられる。
オオヤマトの権力者と各地方の権力者は、中世ヨーロッパの王と諸侯のような、封建的な構造をもっていたか。p155
最新技術を駆使した武具は畿内に多い。p158
○6世紀、古墳は集中して営まれることはなくなり、各地方の各地域に築かれるようになる。
鉄の内製化、及び各種産業の定着 → 諸侯たちは、外交や交易を征して文物をもたらす英雄から地域の生産をリードするプロモーター的な性格へ。副葬品における武具も減少。
○九州北部では前方後円墳に横穴式石室が設けられるようになる。当初はスロープに出入り口があったが、だんだんとスロープは無視され、石室の位置は下がり、後円部の側面に出入り口が設けられるようになった(五世紀後半以降)。p188
スカイコミュ注:前方後円墳に当初あった宗教的意味が無視されている。死生観、祭祀感の変化?
○前方後円墳は共通性が高いが、横穴式石室は地域によって形式はまちまち。厳密な約束事やその背景となる政治的な性格はなかった。
大古墳だろうと小古墳だろうと、同じ構造や景観をもった横穴式石室の定着は、諸侯が神々の世界に列せられた英雄的な存在から、世俗の支配者になった証ではないか。古墳という巨大で機能的には全く無駄な建造物をつくりだした宗教は消滅。
感想
○先行研究に触れている点は好ましい。入門者向けの考古学の本では珍しいと思う。他のこの手の本は、先行研究の流れを踏まえているのか踏まえていないのか不明の、読者をなめた本が多かったから。
○古墳の萌芽がみられる縄文時代の墓から、大型前方古墳の興隆を通し、その衰退までを追っている。墓制と、それを支えた人々の考え・認識の歴史(変化)を追う側面もあり、なかなかおもしろかった。