天皇たちの孤独 玉座から見た王朝時代

天皇たちの孤独 玉座から見た王朝時代
繁田 信一 H18 角川

内容、カバー裏より

枕草子』に描き出された華麗な王朝世界。その中心にあるべき天皇が、実際にはないがしろにされていた。摂政・関白の専横、それに追従する廷臣たち。孤立する天皇たちの深い嘆きを聞く者はいたのか。当時の廷臣たちの日記によって、華麗なイメージとは裏腹な王朝時代の真実を明らかにする。

感想

平安時代の貴族である藤原実資の記した『小右記』を中心に、貴族の史料を分析することで平安中期、王朝時代の天皇の孤独を明らかにしようとする本。

○本書は、天皇は孤独だった!、と大上段に述べている。しかしそもそも、平安中期ともなれば天皇はまつりごと(政・祭)の形式上のトップという特別な身分であったとともに、上級貴族たちの政争の具であったことはよく知られていることだ。
進学校の出身者なら、花山天皇藤原兼家らによって廃位に追い込まれたエピソードを覚えているかもしれない。
形式上、唯一の神聖さをもちつつ、貴族たちの政治力学に翻弄される身分。

当然、そこにはその身分ゆえの孤独、寂しさがつきまとうだろう。著者から偉そうに指摘されることでもあるまい。

○本書によると、天皇が有力貴族たちの機嫌を損ね、無視されるということもあったようだ。
本書は貴族の日記に残された天皇のぼやきを拾うことで、天皇の「孤独」の内実を整理しようとしているが、その孤独は、僕にとっては当然のものに思えた。なぜなら、さきに書いたように、そもそも、天皇は特別で周囲から翻弄される身分だからだ。
ゆえに、本書で記されている「孤独」とやらが、どうも当たり前のものに思え、本書がどんな「新発見」とか「意外な真実」、「天皇特有の事情」を明らかにしているのか、探りながら読んでいったのだが、どうもそれらがみえなかった。

当然に起きるであろう、(疑似)権力者の孤独を感じさせるエピソードをつらつらと並べるだけでなく、もうちょっと踏み込んだ、深い分析が読みたかったものである。
どんな孤独なの? 特徴は?
別な時代の疑似権力者と比べて何が違う?
別な国の疑似権力者と比べて何が違う?

○また本書は扱っている時代が歴史全体からみると非常に短く、注意が必要。天皇の孤独を通時的に整理しているものではない。タイトルが大げさでは?

○なお補足だが、日本は中国から律令制をとりいれた。律令制とは上級貴族たちによる合議で政治を進めるということである。
その時点で、制度的に天皇は思い通りに政治を進められるわけではない。

○本書には上級貴族たちとの関係に苦慮、苦悩する天皇の姿がふんだんに紹介されている。
しかし私が印象に残ったのは逆に、天皇たちが意外に主体的に生きている姿だ。

私はこれまで、平安朝の天皇なんぞ、貴族たちの政争の具だったくらいにしか思っていなかった。
高校の古典で「大鏡」を読んでいればそう思うだろう。

しかし本書は、天皇を主体に論じていることもあるせいか、天皇も自分の考えをもち、有力貴族たちと種々の交渉をしながら渡り合っている姿を描いていたのだ。
天皇たちは、単に道具として利用されるだけでなく、自分なりに利益や思いを実現させようとして有力貴族たちのなかを生きていた。
ほう、血統でつながってきた一族なのにやるじゃん、と思ったのだ。

ふと考えたのだが、よく知られているように有力貴族たちは天皇外戚関係になることで権力を掌握していた。逆にいうと、天皇には有力貴族の血が入っているわけだ。権力争いの巣を勝ち抜いた優秀な人物の血が入っているわけだ。
そこら辺も、天皇たちが意外と魑魅魍魎の世界で交渉し主体性をもって生きていけた理由なのかもしれない。