アイヌ民族

アイヌ民族
本多勝一 1993 朝日新聞社

内容、出版社ウェブサイトより

硬骨のジャーナリスト・本多勝一が、20代の若きかけだし記者のころより深い関心をもって追い続けてきたアイヌ民族問題の集大成。アイヌ民族の暮らしを北海道の歴史や自然から説き起こし、アイヌの一生を壮大な伝承物語形式で綴る。

感想

朝日新聞の学芸欄に連載していたものをまとめたものとのこと。
本書はアイヌ民族の生活について述べている。このような、近代日本の絶大な影響を受け、ほとんど絶滅しかかった民族や文化について述べたものは変な感傷にとらわれたものになりがちだ。アイヌもそうだし、琉球奄美もそうである。しかし本書は、出典や根拠をできるだけ明示し、冷静に議論を進めようという姿勢がみえ、その点は好感がもてる。

アイヌ民族の生活について述べている、と先ほど書いたが、本書はそのアイヌたちが生き走りまわった北海道の大地や自然から書き出しているところが、非常に印象的だった。
ヤマトの人間から蝦夷と呼ばれた大地。そこはつい百年ほど前まで、遙かなる巨木がうっそうと繁る大森林だったという。そして、シカやサケをはじめとする動物や山菜が豊富に採れる、自然と恵みの豊かな大地でもあった。
「暗い静寂の支配する野獣横行の原始林、ところどころにある大きな草地、雪が降り出すと野獣共が山を降りてきて徘徊する山麓、」
(イザベラ=バード『明治初期の蝦夷探訪記』をお本書より孫引き)(p10)

アイヌについて語るのに、かつての北海道という彼らの生きた土地を語ることが不可欠なのだ。彼らはそういう生き方をしていたのだ。


一方皮肉だなと思ったのは、こういう、自然豊かで一種の畏怖の念すらうかぶような北海道の様子が記録に残されたのも、近代人との接触があったから、ということである。確かに、ヤマトの近代人たちは北海道の大地やアイヌの文化・生活をむちゃくちゃにした。そういう時代の流れに北海道やアイヌはさらされた。
しかし、彼らの様子を今の私たちが読むことができるのも、近代人との接触があったからこそである。
文字を高度に用いない文化の精神世界の一端が、それを破壊する近代人によって後世に残されるというのは皮肉な話だ。

本書は物語形式をとることにより、アイヌの生活や精神世界を伝えようとしている。おもしろい手法だな、と思った。

アイヌ語もよく使われている。速読の妨げにはなるが、味わいも出るし、何より上記の目的のためには効果的なのだろう。