都市と日本人 「カミサマ」を旅する

都市と日本人 「カミサマ」を旅する
上田 篤 2003 岩波

内容、カバー折口より

都市とはなんだろう。それは「カミサマのいる場所」のことだった。では「カミサマ」とはなにか―吉備に太古の国造りを見、古代と近代の「宮城」の意味を探り、現代の「鎮守の森」の役割を考えながら、探索の旅は続く。ユニークな視点と平明なことばで綴る、著者の多年にわたる都市研究のエッセンス。

感想

強引な推論が多い。
日本の平野の多くは縄文時代は海だったが、古墳時代を通して人間の手で埋め立てられた、という興味深い主張をする部分がある。縄文時代は今より海面が高かった。なので、縄文以降、海面が下がっていくわけだが、それにともなって平野部分が増えるのは当然のことだろう。それに加え、人間の手が加わり、国土が整えられた、というのは興味深い主張だ。しかし人間の手が加わったことの根拠がまったく記述されてなく、あきれた。地理学者は国土が広がっていることにどうして着目しないのだろう、と著者はのたまう。アホか。海面が下がるんだから当然だ。無知をもって人の批判をする前に、まず自分が地理学の勉強をして欲しい。

本書の内容は、学術的な本というよりも、思いつきを連ねたエッセイ風。新書でこんなのは期待はずれだなあ。
やたらめったらカミサマという言葉が出てくる。「都市と日本人」を題に論じていく上で、このカミサマというのを軸にしたいらしい。しかし、このカミサマとやらの定義がさっぱりわからない。それらしいものを、何でもかんでも「カミサマ」というボックスに放り込んで、そしてろくに分析もせず放置し、それで理解したつもりになって満足している。まったくひどい。学者とは思えぬいい加減さ。

西欧のキリスト教と、アニミズム的で土着の氏神信仰的な日本の神道を比較しているが、的はずれなこじつけ意見ばかりで、かつ中身もない。著者は「カミサマ」という概念を持ち出す以上、民俗学歴史学の勉強をもっとすべきだった。
人に自分の書いたものを読ませる前に、自分が本を読め。