ヤマト王権

ヤマト王権
吉村武彦 2010 岩波

内容、カバー折口より

日本列島にはじめて成立した全国的な統治システム、ヤマト王権。その始まりはいつだったのか。初代の「天皇」とは誰なのか。王宮や王墓の変遷は何を物語るのか―。「魏志倭人伝」など中国の正史や金石文ほか、貴重な同時代史科に残された足跡を徹底的にたどり、ひろく東アジアの動きを視野に、多くの謎を残す時代の実像に肉迫する。

メモ

ヤマト王権は、四世紀前半に成立したと想定され、律令制国家が形成される七世紀後半まで存続した王制の政治的権力機構である。」

オオクニヌシとは、偉大な国主のことで、葦原中国における国づくりの主神である。国主は、各地に存在した在地首長を象徴する名前であり、おおあなむち・やちほこ・おおくにたまなど、各地域に固有の多くの名前がある。」「争いと試練を経て、国づくりが行われる」

オオクニヌシは、葦原中国天照大神に国譲りする。国譲り神話には、各地に存在する国主たちがヤマト王権に服属し、(領土を差し出す代わりに)国造に就任することを意味する寓意が込められている。」

(「はじめてこの国を統治する天皇」という意味の「はつくにしらすスメラミコト」と名付けられた天皇が二人もいる。第一代の神武天皇と第十代の崇神天皇。第十代に対し「はじめてこの国を統治する天皇」と名付けるのは矛盾だ。逆にいうと、本当の「初めてこの国を統治する天皇は」第十代の崇神天皇ではないか。また、第一代の陣部天皇には「天下を統治する」と名付けられており、順番としては「天下を統治する」が先にき、その後に「国を統治する」が来るのでおかしい。「国」が先にきて、その後支配領域が広がり、「天下」が来るはずである。この点からも、神武天皇に与えられた表記は脚色であり、人為的なもの。神武天皇は後から付け加えられた存在だろう。実在性が考えられるのは崇神天皇から。)

感想

魏志倭人伝や公開土王碑文、日本書紀といった数少ない文字資料を慎重に扱いながら、ヤマト王権の有り様、支配体制を迫ろうとする本。
古代史に興味がある人にとってはおもしろいだろう。

ヤマト王権朝鮮半島に対する影響力についてはあまりつっこんだことは書いていない。しかし、脚色はあるだろうが、日本書紀や公開土王碑文、宋書などに具体的にヤマト王権朝鮮半島に進出していたことが書かれている以上、ヤマト王権朝鮮半島南部にきわめて強い影響力をもっていたこと・もとうと軍事力を行使していたことは確実ではないか。朝鮮半島南部に前方後円墳があったり、日本産翡翠の曲玉が出土している点も証拠になると思う。
ヤマト王権朝鮮半島への武力行使、支配の有無は、王権の力や指向を探るうえで欠くべからざるものだろう。もっと踏み込んで記述して欲しかった。

著者が触れていないことだが、ヤマト王権時代は、戦争が多くまた、技術革新、支配体制の変化が進んだのではないか。
なぜなら、日本が朝鮮半島に大きく進出した(進出する余力と気持ちがあった)、安土桃山時代や明治時代はそういう時代だったから。