希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想
古市 憲寿 2010 光文社

内容(カバー折口より)

最近、「コミュニティ」や「居場所」は、若者や生きづらさを抱えた人を救う万能薬のように語られることが多い。しかし、それは本当なのか。本書は、「世界平和」や「夢」をかかげたクルーズ船・ピースボートに乗り込んだ東大の院生による、社会学的調査・分析の報告である。なんらかの夢や希望をもって乗り込んだはずの船内で、繰り広げられる驚きの光景。それは、日本社会のある部分を誇張した縮図であった。希望がないようでいて、実は「夢をあきらめさせてくれない」社会で、最後には「若者に夢をあきらめさせろ!」とまで言うようになった著者は、何を見、何を感じたのか。若者の「貧しさ」と「寂しさ」への処方箋としてもちあげられる「承認の共同体」の可能性と限界を探っていく。

感想

 「平和の精神」を涵養する活動を船内で行いながら、格安で世界一周をするクルーズ船、ピースボート。ちなみに僕が、「平和の精神」にかっこをつけたのは、ピースボートを主催するNGOと僕の考える「平和の精神」が少し違うため。
 このピースボートに乗り込む青年たちを調査・類型化し、現代の若者の考えや、ピースボートが彼らにもたらしたものを考察するのが本書である。

 最終的に、ピースボート
○「承認の共同体」という強固な目的意識がなくとも、「共同性(共にいること)」によって維持されているコミュニティであり、世の中を変えようとする集団になりえていないこと。
○若者たちをあきらめさせる場として機能していること(以前のように、「いい人生」という共通の物語が共有できず、終わりなき自分探しを強いられる現代の若者たちにとって、あきらめること、あきらめさせる場が必要がある)。
といったことを結論づけている。


希有な集団、ピースボートルポルタージュとしてもおもしろい。
純粋に、不思議な世界としてピースボートを見ることができる。
また、ピースボートを主催するNGOが、ダンスやビラ貼りをさせることによって自身の主張に乗客を教化していく様子も勉強になる。

 ピースボートを通して若者論をぶつよりも、ピースボートは多くの年長者も乗っており、世代間の対立もあったので、ピースボートという箱庭に乗った集団全体に焦点を当てた方がおもしろいような気がした。

 あきらめさせる必要があるうんぬん、という主張にはあまり賛成できない。世の中を変えるのがたいへんだ。それをあきらめることがあっても、いいと思う。
しかし、個々人が個々人でいろいろな世界を見る。いろいろな価値観を知り、自分の価値観を見定める。そして、自分の経験や学びに裏打ちされた、「世界はこうあって欲しい!」という願いを抱くことは、大切なことではないか。個々人がそういう思いを抱いて、そしてそれをぶつけ合わせてのみ、世界はよくなっていくのではないか。

 私たちは世界を生きて、そして、望ましい世界を夢想し、さらに、それを他者とぶつけなければならないのだ。私はこの点で、著者の〈若者をあきらめさせる場が必要だ〉という主張には反対である。