おまえが若者を語るな!

おまえが若者を語るな!
後藤 和智 2008 角川

内容、背表紙の宣伝より

「モノが溢れる社会になり、心が貧しくなった」といった言説が飽きることなく繰り返されてきた。そして偏見と差別しか生まずに消えていった…。不毛な議論に振り回された20代が、風穴を開ける!今こそ、データに基づくまともな議論をする時だ!

感想

 根拠のないいいかげんな若者論をたくさん集めて逐一示し、それを批判するという本。宮台真司香山リカらが批判されている。著者が、「自らが気に入らないこと、疑問に思うことは、(中略)現代日本人の心性の変化、という切り口で語るようになってしまっている」と糾弾しているとおり。僕も大賛成。

 若者論で僕が思い出すことがある。大学の演習のとき、教授がちくりと言っていた。
「あんなの新しく社会に出る若者におびえる大人たちの、精神薬みたいなもんさw」

 メディアの多様化によって、日本人のメディアリテラシー能力も高まっていると思う。だからさすがに今では、根拠のない若者論を疑う人が増えているはずだ。

 本書はえんえんと偏見に満ちた若者論が紹介され続けるので、読んでいて1/4ぐらいでうんざりした。1/2ぐらいでは精根尽き果てた。いや本当に。
 本書で引用された文章が実にいい加減で偏見に満ちているからというのもあるし、もう一つうんざりした理由は、本書はそれに対する批判から先に進まないからだ。
 実証的なデータに基づかないいい加減な主張を、批判するのはとても大切だ。著者も指摘するように、それが政策に影響している主張ならなおさらである。
 しかし、それはそうとして、本書はもっと先に進んで欲しかった。
 最後の方で、(困難な状況に陥っている人の救済は、根拠のない宿命論的な世代論ではなく、科学的な実態の把握に基づきリスクを少なくして便益をあげる政策設計によって解決すべき)と、ちょろっと主張しているくらい。
 なぜいい加減な若者論が唱えられるの? 実証的なデータに基づく若者論が主張されるにはどうすればいい? 専門化はどうすればいい? マスメディアはどうすればいい? メディアを受容する一般人はどうすればいい?
 こんな風に、いい加減な若者論と、それを生み出す社会、受容する社会を上から見たら、いろいろと論じれるでしょ?

小飼弾が、本書の書評記事で以下のように主張していた。
(社会が急激に変化し世代差が広がっているため、世代論が、かつてないほど成立しやすくなっている)
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51118094.html
こういう俯瞰的な視点でもって分析し論じて欲しかったのである。

 なお、著者は、昨今喧伝されている若者論に対し「根拠がない」、「データがない」とさかんに批判する。全くその通りだと思う。
 一方で、データはなくとも、人間としての皮膚感覚や生活感覚ともいうべきもので、物事の本質をつくこともある、とも思う。実証的なデータを大切にするのが一番だが、だからといって実証的でないことをもって全て退けるのも非知性的ではないだろうか。

 人間の性格・性質は遺伝的には短期間に変わるものではない、というのも真。その一方、人間の環境によって簡単に左右される、というのも真。

 若者は昔に比べて変わっているとも言えるし、変わっていないとも言える。
 実証的なデータを大切にしつつも、皮膚感覚で捉えられるものがないかも、アンテナをとぎすませてつかみたい。