日本の難点

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日本の難点
宮代真司 2009 幻冬舎

内容、背表紙より

現代とは「社会の底が抜けた時代」である。相対主義の時代が終わり、すべての境界線があやふやで恣意的な時代となっている。そのデタラメさを自覚した上で、なぜ社会と現実へコミットメント(深い関わり)していかなければならないのか。本書は、最先端の人文知の成果を総動員して、生きていくのに必要な「評価の物差し」を指し示すべく、「現状→背景→処方箋」の3段ステップで完全解説した「宮台版・日本の論点」である。

感想

 著者が主張していることにはだいたい賛成する。話題が広範囲で、なるほど、と思わせるところもあり、勉強になった。しかし、主張の根拠をあんまり書いてなくて、それを自分でおぎないながら読まざるを得ないので、読んでて疲れる。
 別に悪いことではないのだが、本書は、データ統計に裏づけられた学問的な本というより、思想・哲学的なことが書いている本。でもやっぱりもっと根拠をしっかり書いてほしい。そして、「Aすべきだ。」とか「Bであるべきだ」というには相当しっかりと手続きを踏まないといけない。社会的に○○が望ましいというは、価値感の問題になるから。価値感から説明していかないといけない。本書はそれが不十分。
 現状分析の上で、今後の社会システムはどうあることが望ましいか考察している。全体を包括するような主張を抜き出せといったら、(「個の自立」ではなく「社会の自立」を目指せ、社会が自立できるよう手立てをうて)かな。

メモ

(1994年以降、政治哲学や社会思想の最前線では、政治を評価する物差しが収束しつつある。
一つは、他文化主義「近代の普遍主義も数多ある文化の一つに過ぎないとして普遍主義を相対化する立場」の否定。
もう一つは、今のと矛盾しそうだが、普遍的だと言えるものは永久にあり得ないという立場を取ること。せいぜいアレよりもコレの方が普遍的だという具合にその都度相対的な主張が可能だということ。)p4


( もともとの新自由主義の主張。それは「小さな政府」×「大きな社会」。どのみち財政上小さな政府でやっていかなくちゃいけない。そして、「大きな政府」で国家が社会から移転した便益供与メカニズムを、社会に差し戻す必要がある。個人が苦境に陥ったとき、それを社会が助けられるようにするべき。
 ただし、旧来の家族の包摂性や地域の包摂性、宗教の包摂性は、強い「社会的排除」をもっていたので、副作用の少ない新たな相互扶助の関係性の構築が必要だ。
 行政が成すべき自立支援とは、「個人の自立」ではなく、中長期的には「社会の自立」(大きな社会の樹立の支援)でないといけない。)p134


( 猥褻表現は、規制するよりゾーニングした方がいい。明らかな人権侵害がなければ、見たい人が「不意打ち食らって見てしまう」ことを無くし、棲み分けされればいい。あれはいい、これはだめ、というのは自明性を欠いている。
 もっとも、ゾーニングの行き過ぎも弊害がでる。なぜなら裏に潜って、行政が制御できなくなるからだ。また、異質なものへの不寛容さを醸成し、神経質な排除をもたらす。また、多様化した欲求のガス抜きを失う。)p142


( 日本の裁判員の日数は短すぎる。3日程度しかかけられない。参審制を採用する国は任期制で、ドイツは4年にも及ぶ。こんなに短くて適正な裁定ができるのか。)p218


(多数決は「特定の誰某が決めた」という選択帰属をキャンセルする機能がある。「奪人称化機能」。
古であれば世界や社会を創造したのは、世界の外にいる神々であったり、社会の外にいる英雄であった。人は社会に恣意性が、自分の横にいてもかまわないような存在に帰属することに耐えられないから。多数決はこれに代わるもの。)p162


(裁きには、社会的意志の貫徹機能がある。社会が複雑になるにつれ、これを被害当事者部族ではできなくなった。この段階で分かりにくくなったみんなの期待(社会的意志)を再発見するというロジックー法の発見ーによって法的裁定に臨む法生活の専門家が出現した。これが裁判官の原型)p221