東京裁判

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東京裁判
日暮吉延 2008 講談社

内容、出版社ウェブサイトより

東京裁判から60年。ようやく〈事実〉に基づく、冷静かつ実証的な研究がなされる時代がきたとの感に打たれた。〈歴史〉が待ち望んでいた書だ。」――保坂正康(ノンフィクション作家)
東京裁判は「国際政治」の産物以上のものではない。イデオロギーを排し、徹底的な実証と醒めた認識で「文明の裁き」と「勝者の報復」をめぐっての不毛な論争にいまこそ終止符を打つ。
すでに東京裁判の開廷から60年余の歳月が経過している。「東京裁判開廷60年」の2006年に朝日新聞社が実施した日本国内の世論調査では、東京裁判をどの程度知っているかという質問にたいして、「裁判があったことは知っているが内容は知らない」が53パーセント、「裁判があったことも知らない」が17パーセント、合計70パーセントが、「知らない」という結果が出た(『朝日新聞』2006年5月2日)。……この数字にはなかなか驚くべきものがあると思う。二世代(60年)のあいだにこれだけ忘れられているなら、そろそろ冷静な議論も可能になっていそうなものだが、しかし現実は「逆である。……日本のマスメディアには「A級戦犯」「東京裁判」といった用語が飛びかい、旧態依然とした裁判の肯定・否定論争もかまびすしい。冷静で生産的な論争であれば、大いにやってもらいたいものである。しかし、この肯定・否定論争では、紋切り型の、ときには誤った知見が繰り返されるばかりだ。1980年代後半以降、東京裁判についての新しい事実がかなり発見されてきたが、それらは専門家の世界にとどまり、一般にはあまり普及していない。本書を世に問うのは、このためである。――<本文より>
第30回サントリー学芸賞<思想・歴史部門>受賞

メモ

(東京裁判に対するマスメディアの論争は紋切り型、ときには誤った知見が繰り返されている。1980年代以降、新しい事実がかなり発見されたが、一般には余り普及していない。本書を世に問うたのは、このため。)p9


(A級戦犯・B級戦犯の、「A級」「B級」というのは、BよりAの方が悪いといった、タテの序列を示すわけではない。もともと、裁判所憲法第五条の(a)項、(b)項に該当するという意味である。ただ、連合国はA級犯罪「平和に対する罪」の追求を重視した。なぜなら、戦前には存在しなかった事後法であり、また荒野さながらの国際社会に侵略戦争を抑止する「法の支配」を構築すると信ずる野心的な試みだったから。)p21


( 東京裁判をめぐっては、同時代から「文明の裁き」論と、「勝者の裁き」論が対立してきた。
 「文明の裁き」論とは、日本の侵略と残虐行為の責任を「文明」的な裁判方式で追求したことをいわば「美徳」として評価する肯定論。
 「勝者の裁き」論とは、戦争開始などについて指導者個人を国際法で罰するのは事後法の適用であるし、連合国側の行為が問責されないのも不公平であり、また日本を一方的に悪と断ずる勝者の政治的報復にすぎないという否定論。
)p29


「本書の立場はシンプルである。とにかく「事実」を確認し、東京裁判をあえて突き放して考えてみようということだけのことである。」p32
「筆者は、東京裁判というのは、「文明の裁き」と「勝者の裁き」の両面をあわせもつ「国際政治」であったととらえる。「文明か勝者か」ではなく、「文明も勝者も」なのである。」p33


(文明の裁きと勝者の裁きという一見矛盾した二つの論理をつなぐ鍵は、「安全保障」)p39


東京裁判は、国際政治そのものである。もちろん「安全保障」政策といっても、それだけでアメリカや連合国の「安全」が確保できるはずがない。あくまでも日独の裁判を「戦争の罪悪」のシンボルとして操作し、敗戦国民の心理に影響をおよぼす「無害化」の政策ということだが、それが戦後国際秩序の安定化に有効と思われた。」p40


「戦後日本外交の担い手たちは東京裁判を「みそぎの道具」にすることで対米関係を緊密化できると考えた。東京裁判は戦後日本における対米協調の環境整備手段として利点があり、裁判の受容は日本側の〈安全保証〉政策であった。この点こそが日本にとって東京裁判の最大の意義だと筆者は考える。」p153


(極東裁判所は、連合国諸政府からかなりの程度独立していた。)p269

感想

○ 本書で一貫して主張されるのは、東京裁判は勝者となった連合国にとって、日本を過度に連合国に敵意を抱かせることなく無力化するという、安全保障政策だったということである。その視点から、東京裁判の成立からA級戦犯の釈放までに起きたことを土台としながら、各個人・団体の意図や対立を掘り下げている。好感がもてる研究態度。


○各章のタイトルがリサーチクエスチョンとなっていて、内容が理解しやすい。


○ A級戦犯には弁護人がつき、自衛戦争論を展開するなど、検察の追求にドギツク反論している場合もある。全体の結論は決まっていたのだろうが、想像以上に自由にものが言えたんだな、と驚いた。


○ 東京裁判は連合国の複数の国が参加し、それぞれの意志が違い、けっこうめちゃくちゃ。今まで東京裁判は、日本を断罪するために、アメリカの強い主導でキリキリと運営されていたのかと思っていたが、内実は、各国、各国代表検察人、各判事、各弁護人の思惑が入り乱れてかなりグダグダだった。
 対ドイツのニュルンベルグ裁判とともに、歴史上初で、計画がきちんとたてられず、かつ計画通りにいかない、野心的な冒険的な事業だったのかな、感じた。