誰が誰に何を言ってるの

誰が誰に何を言ってるの
森達也 大和書房 2010

内容(「BOOK」データベースより)

テロ警戒中・特別警戒実施中・防犯カメラ作動中、これ、多すぎじゃない?やがて規制が変わり、システムが変わる。世相が変わり、法が変わる。そして、意識が変わる。僕たちが知らない間にゆっくりと。

感想

 街中にあふれる「警告」(そこら中の役所などに毎日掲げている「特別警戒実施中」みたいなやつ)をいくつも取り上げ、それに対し突っ込みを入れている。世間にあふれる「警告」は、「誰が誰に何をいるの」?である。
 特に、ほとんどリスクが無いものに対し過剰に注視を向けるのは、もっとリスクが高い他のものへの警戒が薄れかねない、という指摘はもっともだと思った。

メモ

「 善意は暴走する。(中略)
 悪意には後ろめたさが付随する。ごつごつしている。だから摩擦係数が高い。制御が働く。実のところ暴走しづらい。
 善意は陶酔する。そして悪意は屈折する。自己の利益や私怨を理由にしたとき、人は人を多くは殺せない。人の心はそれほどに強くない。せいぜい数人が限界だ。でも善意や正義やセキュリティ(愛するものを守る)を理由にしたとき、人は人を際限なく殺戮することができる。摩擦が働かなくなるからだ。ほとんどの戦争や虐殺はこうして起きる。だから事後に理由がわからなくなる。
 そろそろ学ばなくては。僕らが本当に警戒すべきは悪意ではなく、凛として気高くて崇高で誇り高い善意であることを。」p24


(マスメディアには殺人事件ばかり載っている。スキャンダラスで刺激的だからだろう。しかし事件の報道ばかりでは、大切なニュースが載らなくなっている。)p51


「国家や行政による言い換えは、終戦から半世紀以上も過ぎた現在も続いている。たとえば障害者自立支援法。動物愛護センター。極刑。思いやり予算公的資金(要するに税金じゃないか)。他にもたくさんある。そのほとんどは、呼称を言い換えることで、何かを偽装や隠蔽しようという企みだ。(中略)
 言い換えは人を馴致させる。座標軸を変える。だから本当は、変わった瞬間に指摘せねばならない。その意味でメディアの責任はとても大きい。」p83


「戦争の本質を知ることは、「愛する君を守る」式の高揚が、結局のところ「守る」どころか「殺す」ことになってしまっているということを知ることでもある。でも人はなかなかこれを学べない。同じことをくりかえす。」p195


(リスクがほとんどゼロに近いものに注意を喚起し過剰に怯える生活は、もっとリスクが高い何者かに対しての警戒が、おろそかになる可能性を示している。大切なのは周囲に合わせることではなく、状況への冷静な洞察と、できる限り正確な認知だ)p240