確率的発想法 数学を日常に活かす

確率的発想法 数学を日常に活かす
小島寛之 2004 日本放送出版協会

内容、カヴァー折口より

天気予報からリスク論まで
確率の発想さえ身につければ、不確実な状況をうまくコントロールできる。ギャンブルや保険、資産運用など、日常に即しながら確率の基本的な計算方法を数字の苦手な人にもわかりやすく解説し、経済学や金融工学などが確率をいかに利用しているかを紹介。さらに、環境問題などのリスクに確率のテクニックを応用して対処する可能性をさぐる。社会生活に役立つ、異色の数学入門。

感想

 確率がどのように社会に役立っているのか、少し分かる。
ただ網羅的に扱われているわけではないので、教科書として使えるわけではない。特に後半からは、平等な社会を構築するにはどうすればいいか?、という問題に焦点をあてており、それはそれでおもしろいのだが、タイトルとの齟齬を感じる。


 なんでもかんでも数理モデルつかっているが、その姿勢に疑問を持った。例えば、「人によって好みが違う」といえば済むのに、わざわざ人間の感情(好きとか嫌い)にいちいち数値を与え数理化し、現象を数理モデルにして説明しようとする。確かに、「人によって好みが違う」ということをヒントに、ある問題の答え、、、というか多数の人が納得出来る妥協点を導き出そうとする際は、数理モデル化してみることも必要だろう。(「好み」を適切に数値化するのは困難だが・・・。)
しかし、「人によって好みが違う」という当たり前の単純な結論を導き出すのに、いちいち数理モデルを引っ張り出すのは逆に、わかりにくいと思う。


 「コモン・ノレッジ(共有知識)」であるかどうかで、適切な行動が変わってくるという話はおもしろかった。
コモン・ノレッジであるというのは、ある知識が、ある集団で共有されていることを指す。そればかりでなく、共有されていること自体が、ある集団の構成員に即知である状態を指す。
例えば、
「AがXを知っている」、「BがXを知っている」、「Bが(AがXを知っている)ことを知っている」、「Aが(BがXを知っている)ことを知っている」、「Aが(Bが(AがXを知っている)ことを知っている)を知っている」
という状態である。


 確率について数学者たちが考えてきたことが、本書にはいろいろまとめられているが、僕には、アタリマエのことを言い合っているようにしか思えなかった。確率を現実に役立てようとすると、「人間はどう考える傾向があるのか?」、「人間は何を好ましく思うのか?」などを検討する必要が出てくるだろう。
本書を読んでいると、数学者たちはそういうアタリマエのことをいちいち数理モデルを使って、言い合っているみたいなんだよね。無理に数理化しないで、社会学の知識を流用した方がずっとずっと正確なんじゃない?
あと、問題の解決策(妥協点)を探るのに確率が使えるかも知れないけれど、問題が複雑であればあるほど、数理化するのは難しいんじゃない? っていうか相当困難だなと思う。