脱アニュアル小論文 作文と論文をつなぐ指導法

脱アニュアル小論文 作文と論文をつなぐ指導法
中井浩一 2006 大修館書店

内容(「BOOK」データベースより)

画一的な内容、紋切り型の展開、借り物の結論…小論文はこのままでいいのか。直接経験一つ、間接経験一つあれば、小論文は書ける!AO入試にも対応。国語専門塾「鶏鳴学園」中井メソッド。

筆者の主張を簡単に書く

 これまでの小論文指導はマニュアルにそって書けというものだった。しかしそれは、形式にばかり注力し、中身のない小論文を量産してきただけだ。中身が磨かれた小論文を書くには、お題に沿って自分の経験を焦点化した上で具体的に記述し、それを問題意識に昇華させ、結論へと導くべきである。

雑感

○小論文を書く上での基本的な注意点が書いてある。全体的に共感。
 それだけでなく、小論文指導の仕方が具体的に描いてあるので、それは特に有用であり参考になると思う。


○私自身、生徒に対し、(自分の経験を具体的に書きなさい)と口酸っぱく言う。しかし、そこからなんらかの結論を導いた場合、それは高校段階の作文では評価されるかもしれないけれど、自分の経験だけでは、著しく説得力に欠ける妄想文に過ぎないことも同時に理解してもらいたい、と考えている。


○別に本書に文句があるわけではなく国語の教育界に文句があるのだが、「小論文」という単語はやめたらどうか。
 なぜなら、「小論文」という言葉と、実際に要求されるその中身が、全然食い違っているからである。
 小論文を指導する上では(具体的経験を書かせなさい)とよく言われる。個人の具体的経験に過ぎないものから結論や、それに近いものを導き出せというのである。しかし、そんなのぜんぜん「小」とはいえ、「論文」ではない。ただの作文だ。論理性に注力した作文だ。これに「小論文」なんて名前をつけるからわけがわからなくなるのだ。
 「小」「論文」と銘打つ以上は、先行研究を比較し検討した上で自分の考えを論理的に書くべきではないのか。
 しかし大学入試で課される小論文試験は、形式はいろいろあるがいずれも、上記のように先行研究をいくつも読む機会がない。だから生徒に指導する側も、個人的経験を具体的に書き、説得力を持たせるよう指導するほかないのだ。まあでも、論理をしっかり勉強した人にとっては、突っ込みどころ満載の作文になると思うけどね。そりゃそうだ。下調べもしてないし、問題意識も持っていなかったことをいきなり書いて、まともなことが書けるはずがない。書けたとしても、それはイレギュラーの天才だ。


 だからまとめると以下のように主張したい。
①大学入試試験に「小論文」という単語を使いたいのなら、先行研究を比較し検討する場を設けること。もちろん個人的な経験を結論の根拠にしてはいけない。論文だから当然だ。
②大学入試に「小論文」という名前で現在行われている作文試験は、「小」「論文」にほど遠いので、即刻名前を変更すること。「意見文」とか「主張文」でいいんじゃないの?