コミュニケーション不全症候群

コミュニケーション不全症候群
中島梓 1991 筑摩書房


【内容、出版社ウェブサイトより】
ますます過密化と選別化がすすむ現代、もはや「一戸建」の自我の場所はない。それでも生きていかなければならないとしたら。おタク、ダイエット、少女たちの小年愛趣味…それらすべてを現代社会への「適応」として捉え、若者の共感と批評家の絶讃を浴びた、著者渾身の書き下し評論。後のオウムの出現を予言していたと思える箇所もあり、誰もがあっ、と思いあたる。「現代」を生きなければならない人々に繰り返し読まれるべき名者。


【メモ】
(自分の居場所や人間関係がしっかりあることが重要)p81


「ダイエットに成功した人たちの多くがダイエットの本を書くのは、決して自分の成功した方法を他の人にもひろめて、この世界からデブをなくすために貢献しようなどという心理のためであるわけがない。それは意識されぬにせよ、「体重の軽い方が人間の価値が高い」というこの強固な共同幻想を保持し、その共同幻想の中でまんまと勝者になった自分をいつまでも勝者として守ろうとする、そういう心理からきているのである。彼女たちの自己のイメージはこの共同幻想によってそれまで失われていた確かな基盤を獲得したのだから、彼女たちはこの共同幻想が社会の共通の基盤として作用し続けている間だけ精神的に安定を得ていられる。」p128


「私たちは商品であり、同時にどんどん商品を際限なく買わされる消費者であり、選別される品物であると同時に選別する機会である。機会であるからその選別には血も涙もなかったとしてもちっとも不思議ではない。」p142


「現代の私たちの心をもっとも占めてしまっているのは、まったく『見られる』ことであり、それに対して『見る側』であることは、失敗者であることである。『見られること』を完全に支配した個人がもっともいまや偉い個人である、ということになったのだ。なぜか? 答えはただ一つ、当然の解答は、『現代にもっとも欠乏しているもの』がそこにあるからなのだ。」p152


「私たちが求めているのは、『他の人間』ということ――それはすなわちその『他の人間』に『自分』が保証されるため、他の人間によって自分自身が確認されるためであるということである。もちろん私たちは他の人間そのものを求めているわけではないと言うことだ。私たちは自分自身を求めているのである。そしてその自分自身をこの世に存在させてくれる存在としての他の人間を必要としているのだ。」p155


【雑感】
 論の展開が強引。
 著者の主張を超簡単に言うと、現代の人間は、異常に人口が過密したなかにおり、知り合いになるまで人間として認知しないという防衛手段をとる。そのせいで数々の犯罪が発生。また、こうした社会のなかで適応できないものは、オタクや摂食障害といった一種の自己防衛にはしる。
 う〜ん、、、やっぱりかなり強引だなあw 突っ込みどころ満載。
 それに懐古趣味が若干気になる。「著者の指摘するような現象は、ほんとに最近の話」なのかつっこんでみたくなる。その点では、いっさいの根拠(データ)が示されていないからだ。


 でも、【メモ】を見ていただければ分かるように、表現がなかなかすてき。僕も、こんな風に、巧みにアイデアを表現できるようになりたいな。