日本古代文学入門

日本古代文学入門
三浦佑介 2006 幻冬舎


【内容(「MARC」データベースより)】
異界、エロ、グロ、ナンセンス、スキャンダル…。現代文学の意匠はすべて、日本の古代である7、8世紀に出尽くしていた! 古典の現代語訳でひと通り内容がわかった後、その先の深みに降りてゆくための手がかりとなる入門書。


【雑感】
 古事記日本書紀風土記日本霊異記など、5世紀から8世紀を背景にした日本古代文学の物語を紹介する。国家の動きなどという大きなお話ではなく、日常的な生活がうかがえる物語を選んだとのこと。著者はそこから、「とても千年以上も前の話だとは思えないような、現代人と同じ感性をもち、同じ悩みを抱えた人びとに出会えるはずです」という。


 それはそうなんだろうけれど、やはり、今の現代人とは違う、古代人の死生観などがうかがえる話の方が面白かった。現代人も古代人も、共通する感覚を多数持つ、ってのは、まあ、あたりまえだから。


という雑感を書いた後で、以下のような文章をネット上に見つけた。
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2006102901.html より
「 「日本古代文学」に描かれた神話・伝承には現代に通じるリアリティーがある、というのが本書のコンセプトだ。実はこれは大事な問題であって、古典は人間を普遍的に描いているからリアリティーがあるということではない。日本の古代文学の成立する七・八世紀そのものが現代につながるさまざまな問題を生み出した時代なのだ。著者はこの時代に人間の生き方が混乱し、その生のざわめきのような光景が古代文学の神話・伝承に描かれているのだとする。その「生のざわめき」を面白くとりだしたのが本書なのである。」


なるほど。確かに。ただ、昔の日本人と今の日本人が同じなのではなく、古代文学に現在に続く諸問題が描かれているというところに、着目できるような読みをすべきだった。


【メモ】
「古代の人たちにとって、死が、肉体の腐乱として真っ先にイメージされていたということは大事なことです。彼らにとって「死」というのは抽象的なものではなく、きわめて即物的な、肉体の変化として受け止められるものだったのです。」p28


「日本列島に生きた古代の人びとのあいだには、人を草とみなす発想があり、それが「人は何か」という認識の根幹にあったと考えると、黄泉の国の神話に描かれている情景がよくわかるのではないでしょうか。」p32


「浦島太郎の原話は、日本書紀万葉集丹後国風土記など八世紀に成立した文献に、いろいろなかたちで伝えられています。」p51