報道被害

報道被害
梓澤和幸 2007 岩波


【内容紹介、カバー折口より】
大きな事件や事故が起きるたびに、マスコミは被害者や遺族を取り囲み、マイクを差し出す。松本サリン事件をはじめとして、犯人視報道も後をたたない。深刻な被害をもたらすこの問題に、弁護士として取り組む著者が、報道のあり方を検証し、被害の救済方法について解説。権力的なメディア規制によらずに取材と報道を変える道を提言する。


【メモ】
報道被害とは、テレビ、新聞、雑誌などの報道によって伝えられた人々がその名誉を毀損されたり、プライバシーを侵害される人権侵害のことで、生活破壊、近隣や友人からの孤立をもたらすものです。ここで筆者が強調しておきたいのは、それが被害者の内面にもたらす衝撃と波紋の大きさのことです。」p22


【雑感】
 本書でも指摘していることだけれど、報道被害というのは、つくづくマスコミのシステムに根ざした問題である。報道被害に関する言説をいくつか読んだことがあるけれど、ほとんど、記者や編集者の意識改革を主張していた。ばかだよね〜。そんなので解決してるんだったら、とっくの昔に解決してるだろ。
 それに比べ、本書は、警察から非公式に捜査状況を聞き出す「夜回り・朝駆け」が、責任の所在の曖昧なみょうちくりんでいいかげんな報道につながっていると指摘し、公的業務である捜査状況を一定程度、公に開示すべきだとしている。なるほどとおもった。
 被疑者のプライバシーと難しい調整が必要だが、著者の主張は的を射ていると思う。ただ、警察はもちろん、マスコミも責任を持ちたくないんだろうなあ。


 けれど、裁判員制度の導入にともなう記事の変容や、記者会見の一部開放、ブログやツイッターなどの市民言説の興隆により、マスコミは望ましい方向にかわりつつあると思う。


 それを支持する強力な個人でありたい。


 それから、、、、、、
マスコミは、「たんなる」、人の野次馬根性をくすぐる金儲け集団にすぎないことを、私たち自身が自覚すべきだ。
それを自覚して初めて、どの程度「たんなる」か、冷静に分析する土台にあがれるだろう。