複雑さを生きる(やわらかな制御)

複雑さを生きる(やわらかな制御)
安富歩 2006 岩波


【「MARC」データベースより】
なぜ社会の安定は保たれるのか。人間関係、ハラスメント、組織の運営からテロリズム、環境破壊まで、現代の諸問題を複雑科学系の立場から読み解き、われわれの心身に備わった高度の計算能力を数理的に解明する。


【本書の最重要主張 たぶん】
☆「ものごとを事前によく調査し、それを元に計画を立案し、十分に吟味し、その上で実行し、成果を評価する。このような枠組みは当たり前のものとして受け入れられているといってよかろう。このようなやり方は、社会にかかわる場面のみならず、機械の制御などでも広く採用されている。この枠組みを一般に「計画制御」と呼ぶ。」p109
「一つ一つの変化に対し分析を繰り返し、あるいは可能な限り多くのパターンに対し事前にプログラムを用意する、といった計画制御の枠組みに従った対応は、処理不可能なほどに膨大な計算量を必要とするうえ、大きな変化や予想外の事態に自律的に反応することができない。つまり、事前にプログラムされた事態が計算可能な範囲内で生じる場合には対応することができても、不測の事態に対応することはできないのである。」p128
だから、計画制御を廃し、「やわらかな制御」という考え方から、「共生的価値創出」というアプローチをとらなければならない。P128
そのために、みんなが「理念」を共有し、個々の参加者がそれぞれ接続可能な場所で独自の立場から貢献していくようにし、それぞれの資源を接続することで、コミュニケーションのコアを形成し活性化していくべきである。それによって理念の共有範囲を拡大するとともに、理念そのものを成長させる。p131


【感想など】
☆複雑化した社会では「やわらかな制御」が必要だってのは分かる。「計画制御」だと完全に対応できないよってのも分かる。だからといって、計画制御を完全に廃するべきだとはならないんじゃないの。やっぱり、目標やある程度の計画があって社会は動いていくものだと思う。それに縛られてはいけないという主張は理解できるが、それを廃するべきだという主張は納得できない。本書でも、そこがきちんと説明されてないように思う。


著者は、人間とアシモの二足歩行の動きを比べ、人間のようななめらかで柔軟な動きをするには計画制御では対処できず、やわらかな制御が必要だといってる。


よって、この複雑な社会を生きていくうえではやわらかな制御が必要だといってる。


ちょっと、ちょっと、ちょっと。
論の飛躍じゃないの?
そんな、アシモの歩行なんていうミクロな生命の動きへの対処と、人間社会をどう動かしていくかというマクロな集団社会の動きへの対処を、同じレイヤーで論じれても困る。


こういう意味のわからない例えによる説明があると、本書全体の信頼を落としかねない。


僕は、やわらかな制御と計画制御の折衷案がもっともよいと思う。
やわらかな制御を志向しつつも、計画制御のやり方も折にふれて利用する。
だから、日本社会はもっともっと、やわらかな制御という考えを導入するべきだろう。この点については、著者に同意する。


☆(人は、互いの行為を解釈するために、相手に対し何らかの理論を形成することになる。
これによってコミュニケーションが成立する。
人は、コミュニケーションを通し、相手を観察し学習することで、相手がどんな人間かという理論形成を行う。
これを悪用するのがハラスメント。
「わたくし」が形成しようとする「あなた」の印象を混乱させると(例、上機嫌で話し合っている最中に突然不機嫌になってみせる)、「わたくし」は「あなた」への理論形成をすることができない。
「わたくし」は「あなた」への理論形成をし続けることに疲弊し、「あなた」をうまく解釈できないのは「わたくし」の学習能力に欠陥があるせいなのだと考え始める。
不安に陥り、自信と判断能力を失う。
このように「わたくし」を衰弱させておいて、「あなた」は「わたくし」の中に、「あなた」にとって好都合な「わたくし」の行動基準を送り込む。
この行動基準とは「お前は何も分かってないのだから私の言うことを聞けばいい」というような「あなた」にとってのみ好都合なものである。
こうして支配・被支配の関係が成立する。
ハラスメントはそれを受けた人間の精神をも破壊する。
自信と判断力を奪われ、不安に陥るために、別の人とコミュニケーションを形成するための最初の賭に出る勇気を失うからだ。
ハラスメントを受けた人間も、相手が自分より強いか弱いかを何らかの恣意的基準(身分や学歴、年齢、性別、収入など)で判断し、強い者には媚びへつらい、弱い者にはハラスメントを仕掛けるようになる。
こうして吸血鬼に血を吸われた者が吸血鬼になるという連鎖が形成される。)p73〜


というハラスメントの説明にはなるほどと思った。


どこにでもある危険。と、悲劇。
現代社会で、自我を保って生きていくためには、よく心得、注意しておかなければならない指摘だろう。


《20081121の記事》