アイヌ神謡集

アイヌ神謡集
アイヌ神謡集とは? ウィキペディア(20081118)より】
アイヌ神謡集(あいぬしんようしゅう)は、知里幸恵が編纂・翻訳したアイヌの神謡(カムイユカラ)集。
1920年11月、知里幸恵が17歳の時に、金田一京助に勧められて幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツより聞いていた「カムイユカラ」を金田一から送られてきたノートにアイヌ語で記し始める。翌年、そのノートを金田一京助に送る。1922年に『アイヌ神謡集』の草稿執筆を開始。金田一の勧めにより同年5月に上京。金田一家で『アイヌ神謡集』の原稿を書き終える。校正も済ませ後は発行するだけの状態にまでに仕上げたが、同年9月18日、心臓麻痺により急逝。翌年の1923年に金田一の尽力によって『アイヌ神謡集』を上梓し、郷土研究社から発行された。


アイヌ神謡集』執筆の動機は、アイヌ研究家の金田一京助に、「カムイユカラ」の価値を説かれ、勧められたからであるが、これは外面的なことであり、知里幸恵の内面的な動機は、『アイヌ神謡集』の「序」に書かれている。この「序」は名文であり、知里幸恵の信条や思いが伝わる文である。


アイヌの自由な天地、天真爛漫に野山を駆けめぐった土地であった北海道の大地が、明治以降、急速に開発され、近代化したことが大正11年3月1日の日付をもつ「序」からわかる。それは「狩猟・採集生活」をしていたアイヌの人々にとっては、自然の破壊ばかりでなく、同時に生活を追われることでもあり、平和な日々をも壊すものであった。この「序」には、亡びゆく民族、言語、神話ということを自覚し、祈りにも似た思いで語り継いでいこうというせつない願いがあり、アイヌの文化を守りたいという、切々としたその思いをこの「序」は見事に伝えている。『アイヌ神謡集』の完成・出版によって、若いアイヌの女性が自らの命を削って、民族の神話を伝えた。その真の執筆動機、その思いはこの「序」から十分すぎるほど読み取れる。また、近代から現代まで続いた「開発」がどれほど自然を破壊してきたか、この「序」は、1922年という20世紀の初めの時点で訴えており、知里幸恵は「先見の明」を持っていたとも思われる。


時代は下って2008年6月7日には、前日の国会におけるアイヌ先住民決議の採択を受けた朝日新聞天声人語において、知里幸恵・『アイヌ神謡集』と共にこの「序」の一部が紹介されるに及んだ。この取り上げ方には、アイヌを「亡びゆくもの」であると"本土"の立場から固定しようとする見方であるなどの批判があるが、知里幸恵とその思想が広く全国に知らしめられたという点では特筆すべき出来事であった。


【関連】
青空文庫収録、アイヌ神謡集
http://www.aozora.gr.jp/cards/000000/card44909.html


☆スカイコミュのノート、10月29日の記事
銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに


【感想など】
☆ウィキにも指摘があるけれど、北海道の大自然の中を嬉々として駆けた先祖(アイヌ)への憧憬をうたった序文は名文。和人におかされる前の、アイヌの人々のいきいきとした姿、自然を愛した姿が目に浮かぶ。それだけでなく、アイヌの未来への希望も託している。また、近代化というか、時間の流れに非常に自覚的。
せっかくだから、全文引用したい。


 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝(かがり)も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円(まど)かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
 その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
 時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮(あけくれ)祈っている事で御座います.
 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.


  大正十一年三月一日


☆口承文学だからだろう。調子を整えるためか、変わった表現の繰り返しが多い。


☆面白い表現、美しい表現が多い。
例、
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」

このリフレインの美しさに僕はしばらく囚われ続けた。ああ、幻想的で美しい世界。この言葉を聞くだけで、世界と言葉が愛しくなる。


☆結構めちゃくちゃなストーリー多く、面白い。特に、罠にかかった兄ウサギから、「一族のものにこのことを知らせるよう」言付けられた弟ウサギが、急ぎ足でウサギの村に駆けつけたのに、肝心の言付けを忘れちゃう話とかwなんだこりゃw
せっかくだから、その話だけ、全文引用したい。


この話は、アイヌ神謡集の特徴が詰まった話だと思う。


   兎が自ら歌った謡「サンパヤ テレケ」


サンパヤ テレケ
二つの谷,三つの谷を飛び越え飛び越え
遊びながら兄様のあとをしたって山へ行きました.
毎日毎日兄様のあとへ行って見ると
人間が弩(いしゆみ)を仕掛けて置いてあるとその弩を兄様が
こわしてしまう,それを私は笑うのを
常としていたのでこの日また
行って見たら,ちっとも
思いがけない
兄様が弩にかかって泣き叫んでいる.
私はビックリして,兄様のそばへ
飛んで行ったら兄様は
泣きながら云うことには,
「これ弟よ,今これから
お前は走って行って
私たちの村の後へ着いたら
兄様が弩にかかったよ――,フオホホーイと
大声でよぶのだよ.」
私はきいて
ハイ,ハイ,と返辞をして,それから
二つの谷,三つの谷を飛び越え飛び越え
遊びながら来て
私たちの村の村後へ着きました.
そこではじめて兄様が私を使いによこしたことを
思い出しました,私は大声で叫び声を挙げようとした
が,兄様が何を言って私を使によこしてあったのか
すっかり私は忘れていました.そこに立ちつくして
思い出そうとしたがどうしてもだめだ.
それからまた
二つの谷を越え三つの谷を越え
後へ逆飛び逆躍びしながら
兄様のいる所へ来て
見ると誰もいない.
兄様の血だけがそこらに附いていた.
   (ここまでで話は外へ飛ぶ)
ケトカ ウォイウォイ ケトカ,ケトカ ウォイ ケトカ
毎日毎日私は山へ行って
人間が弩を仕掛けてあるのをこわして
それを面白がるのが常であった所が
ある日また,前の所に弩が仕掛けて
あると,その側に小さい蓬(よもぎ)の弩が
仕掛けてある,
私はそれを見ると
「こんな物,何にする物だろう.」
と思っておかしいので
ちょとそれに触って見た,直ぐに逃げようと
したら,思いがけ
なく,その弩にいやという程
はまってしまった.
逃げようともがけば
もがくほど,強くしめられるのでどうする事も
出来ないので,私は泣いて
いると,私の側へ何だか
飛んで来たので見るとそれは私の弟
であった.私はよろこんで,私たちの一族のものに
この事を知らせる様に言いつけてやったが
それからいくら待っても何の音もない.
私は泣いていると,私の側へ
人の影があらわれた.見ると,
神の様な美しい人間の若者
ニコニコして,私を取って,
どこかへ持って行った.見ると
大きな家の中が神の宝物で
一ぱいになっている.
彼(か)の若者は火を焚いて,
大きな鍋を火にかけて,掛けてある刀を引き抜いて
私のからだを皮のままブツブツに切って
鍋一ぱいに入れそれから鍋の下へ頭を突き入れ突き入れ
火を焚きつけ出した.どうかして
逃げたいので私は人間の若者の隙を
ねらうけれども,人間の若者はちっとも私から
眼をはなさない.
「鍋が煮え立って私が煮えてしまったら,なんにも
ならないつまらない死方,悪い死方をしなければならない.」と
思って人間の若者の油断を
ねらってねらって,やっとの事
一片の肉に自分を化(かわ)らして
立ち上る湯気に身を交(まじ)えて鍋の椽に
上り,左の座へ飛び下りると直ぐに
戸外へ飛び出した,泣きながら
飛んで息を切らして逃げて来て
私の家へ着いて
ほんとうにあぶないことであったと胸撫で下した.
後ふりかえって見ると,
ただの人間,ただの若者とばかり
思っていたのはオキキリムイ,神の様な強い方
なのでありました.
ただの人間が仕掛けた弩だと思って
毎日毎日悪戯をしたのをオキキリムイ
は大そう怒って蓬の小弩で
私を殺そうとしたのだが,私も
ただの身分の軽い神でもないのに,つまらない死方,悪い死方
をしたら,私の親類のもの共も,困り惑うであろう
事を不憫に思って下されて
おかげで,私が逃げても追いかけなかった
のでありました.
それから,前には,兎は
鹿ほども体の大きなものであったが,
この様な悪戯を私がしたために
オキキリムイの一つの肉片ほど小さくなったのです.
これからの私たちの仲間はみんなこの位の
からだになるのであろう.
これからの兎たちよ,決していたずらをしなさるな.
  と,兎の首領が子供等を教えて死にました.


☆起源を物語る神話がいくつか見られる。
例、
沼貝の殻で栗の穂を摘む理由、ウサギが今のような大きさになったわけ


こういう点は、神話らしい。


☆人間に恵みを与える自然(神々)へ感謝することや、他人に優しくあること、というかイタズラしないことを説く話が多い。教育的な面と考えられる。


☆カワウソやキツネなどの動物(あるいはなんらかの神)が、オキキリムイ(神であり人間である者)にイタズラをし、退治されるという話が非常に多い。


アイヌの人々が人間と動物を対等にみていた、とかいう指摘をどっかで見たけれど、この点を考慮すると、必ずしもそうは言えないと思う。


《20081119の記事》