感性の起源(人はなぜ苦いものが好きになったか)
感性の起源(人はなぜ苦いものが好きになったか)
都甲潔 2004 中央公論新社
【表紙の折口より】
バクテリアなど単細胞生物は苦いものから逃げる。なぜなら毒だからである。ヒトの赤ちゃんも苦いものを避けるが、成長にしたがって好むようになる。違いはどのように生まれ、どれほど違うのか。そして、私たちがふだん認識している「感性」は何にもとづくものだろうか。五感のうち、生きることに直接かかわる味覚と嗅覚を手掛かりに、生物が外界の情報を認知し、イメージを形成する過程を追って、ヒトとは何かを問い直す。
【雑感】
バクテリアの感性を、人間の感性を念頭におきながら迫る。
しかし、環境に対するバクテリアの反応は反射である。確かにそこに感性を見ることは可能だが、人間の感性とは質的に違いが大きすぎる。
人間の感性を考えるときに重要なのは、その感性を感じる「私(意識)」という主体が存在するところだろう。本書にはその視点が欠けていた。
その視点を欠いたまま、人間の感性を念頭におきつつバクテリアの感性に迫っても、なんかずれているといわざるを得ない。
進化理論に対する誤った認識が散見された。例:p107
もっとしっかり勉強してから論じてください。
主張の根拠が少ないことが多く、主張の真偽を読者たる私は判断できない点が、まま見受けられる。もう少ししっかり説明してほしい。
なお、嗅覚の言語表現からも、嗅覚が古い脳によって捉えられていることが分かるとする指摘は興味深かった。
以下その部分のメモ。
(視覚には、赤とか黒のように視覚に特化した表現がある。味覚にも、甘いとかコクがあるのように味覚独自の表現がある。しかし、匂いにはそれがない。他の感覚からの借り物・総合的な感性ワード(ex軽い、さわやか、酸っぱい)、あるいは具体的にものを表す言葉(exリンゴの匂い、ココアの匂い)しかない。
人間は、例えば、「鳥」というグループ概念を作ることによって物事を象徴化してきた。しかし嗅覚は、象徴化による類推ができない。言語としてはワンランク落ちる表現である。これも古い脳によっているためであろう。)
他の言語ではどうなのか気になるけれど、かなり興味深い指摘だと思う。
【メモ】
視覚・聴覚
→比較的新しい感覚
物理感覚
大脳新皮質
客観的表現が可
記録が容易
自己の生存に、味覚や嗅覚ほど直接、影響がない
味覚・嗅覚
→古からある感覚
科学感覚
古い脳である扁桃体や島皮質
主観的要素が強い
いまのところ記録困難
自己の生存に、視覚や聴覚以上に直接、影響を与える
嗅覚
→後天的に快・不快が決まる(skycommuはこれに強い疑いをもっている)
味覚
→先天的に快・不快が決まっている
自己の生存に最も直接的影響を与える
《20081008の記事》