「聖地はわずか一センチたりとも場所を移動しない」

『聖地の想像力』 植島啓治 2000 より


確かに動いていない聖地は多いように思う。
聖地の上に聖地は立つ。寺の出自を調べると昔は神社だったっていう例は多い。南アメリカでも、原住民の聖地に、元からあった聖なる建造物をぶっこわして教会が建てられた例が多いという。


聖地のある場所は水はけがよいなどいい土地だったり、地政学的に見て重要な土地だから、あまり動かないのかな。


神聖さという、個人的というより社会的性質の感情は、意外と長く正確に保持されるということでもあるのだろう。


いや、それだけ?
僕は聖地巡りが大好き。聖地を歩く。目をつむり耳をこらして空気を吸う。自然と興奮してしまう自分がいる。
気のせい?
聖地が動かないことと関係ない?


《20080518の記事》