近代小説の〈語り〉と〈言説〉 双書〈物語学を拓く〉2

近代小説の〈語り〉と〈言説〉 双書〈物語学を拓く〉2
三谷邦明編 1996 有精堂


言説分析のお手本のような論を含む9つの論で構成されている。
とかく、言説分析とは何かについて書いてあるところをメモメモ。


三谷邦明
「言説分析は、〈読者〉と〈意味不決定性〉などを磁場としたテクスト分析の延長線上に展開される方法だが、より言語学や日本語学などの文章・文体研究に近づくことで、さらなる厳密さと混沌性との振幅と、意味の輻輳を生成することになるだろう。〈なぜ〉という執拗な問いかけを、文節・語彙や修辞的段階にまで及ぼすことで、表象が隠蔽しているものを露呈させる方法が言説分析なのである。物語学は、〈示すこと〉が〈語ること〉を抑制している機構を暴き、〈語ること〉の異議申し立てを永続的に試みる営みに他ならないのだが、言説分析という方法を獲得することで、〈示すこと〉が隠蔽しているもの、つまり〈語ること〉を微細に分析することが可能となるのである。」p9


その他、気になるところ。


三谷邦明
「一人称/過去という形式で叙述される一人称小説は、虚構としての一人称の過去体験・過去の見聞を語るという言説であるため、回想という回路を必要とする。そのために、過去の体験と回想している時点とが乖離するのである。虚構としての過去体験の時間と、これまた虚構である回想している時間に分離し、さらにその回路を書くという行為も加わり、時間が散在化し、入籠型にならざるをえないのである。メタフィクションは、虚構として設定されていない自伝・日記等の回想の文学も含めて、一人称的叙述の必然なのである。そして、一人称小説は、外側の籠で、語りとして虚構であることを露呈する傾向が強いのである。 」


小説というテクストの細部にこれでもかとこだわるとこれだけの新たな読みができるのか、と感嘆した。しかも、小説全体の読みにつながる問題をしっかり提示している。僕はこういう論文が好きだ。
「思想は細部に宿る」とか「小説はあらすじを追うのではなく、文章(表現)を楽しめ」などというたまに聞く言葉を思い出した。


《20080504の記事》