国語教科書の思想

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国語教科書の思想
石原千秋 2005 筑摩書房


【表紙より】
国語はすべての教科の基礎になるような読解力を身に付ける教科だと考えている人がいるとしたら、それは「誤解」である。現在の国語という教科の目的は、広い意味での道徳教育なのである。したがって読解力が身に付いたということは道徳的な枠組から読む技術が身に付いたということを意味するのだ。


【表紙の折口より】
戦後の学校教育は子供の人格形成を使命の一つとしてきた。現在、その役割を担っているのが国語である。「読解力低下」が問題視される昨今、国語教育の現場では何が行われているのか?小・中学校の教科書、なかでもシェアの高いいくつかの教科書をテクストに、国語教科書が子供たちに伝えようとする「思想」が、どのような表現や構成によって作られているかを構造分析し、その中に隠されたイデオロギーを暴き出す。


【雑感】
「いま私はこの本で国語教科書をまちがいのないテクストとして扱うのではなく、まちがいがあるかもしれないテクストとして分析してみようと思うのだ。ただし、それは単なる「批判」とは違う。教科書から一歩離れて、そこに書かれているのはどういう思想なのか、その思想をどういうレトリックで語っているのか、そしてその教科書は子供たちがどういう人間になることを望んでいるのか、そういったことを見つめ直してみようと思うのだ。」


本書の志向は上の引用で理解できると思う。極めておもしろい視点。教科書といえども、各作品の執筆者がいて、それを選び構成した編者がいる一つのテクストである。教科書を崇高なるバイブルではなく、単なる一つのテクストとして捉え、そこから読み取れるものを分析しようというのだ。


筆者は教科書から炙り出した思想にある種の偏向が見られるという。筆者がまとめたのは以下である。


道徳的・教訓的メッセージが多く、それを子供たちが読み取ることを求めており、子供たちの無意識のうちに理想としてすり込んでいる。
「自然(田舎)(昔)に帰ろう」というメッセージ。(ex賢い動物の登場、自然を擬人化)
「他者と出会おう」というメッセージ。(コミュニケーションの重視)


それを踏まえ今後の国語教育への提言を行っている。簡単にまとめると↓。
過度な道徳教育は辞めること。
教科書の希望するような読みだけでなく、多様な読みがあることを理解させること。
国際社会で活躍できる人材を育てるために、PISA型の試験が求めているような批判精神を養い、自分の意見を相手に伝えられるようになるような教育を行うこと。


「PISA型を志向した教育に固執すること」と「多様性を無批判に奨励すること」には反対だが、それ以外の著者の提言にはかなり強く賛成したい。常々から私も考え、友人と議論していたことだ。本書を読んでいると国語の授業はくだらないと思って、わざと宿題を忘れ、廊下で本を読んでいたことを思い出す。高校二年生の時だ。今考えると先生ごめん。


「道徳を「これが国語ですよ」と言って、あたかも道徳でないかのようにこっそり教えることは、見えないイデオロギー教育だと言える。イデオロギー教育が悪いとも言わない。それを、見えない形で行うのが罪深いと言いたいのだ。」と筆者が主張しているとおりだと思う。


あまりにも民衆は、情報を疑う力、物事を批判的に見る力が無さ過ぎる。それを担うのにもっともふさわしいのが国語ではないだろうか。


《20080227の記事》