口語訳 古事記(完全版)

口語訳 古事記(完全版)
三浦佑之訳・注釈 2002 文藝春秋


 古事記を、その「語り」という特徴に注目して、漢語を排し和語のみで口語訳したものが本書。極めておもしろい試みだと思う。和語のみで口語訳することによって、語り継がれていたものであろう古事記の元となったもの少しでも再現しようとしているのだ。
 また、大量の注釈がついていてほとんど直訳されている本書の理解を手助けしてくれる。他の神話・物語との比較や当時の生活、文化、習慣まで解説されていて、本文と合わせて読むと本当におもしろい。非常に勉強になる。


 ただ、長ったらしい神名・人名が全部カタカナだったのは非常に読みにくかった。文字から受ける印象をなくすためだというが、うまく併記した方が良かったと私は思う。


 訳者の古事記に対する見解は以下で示されるだろう。


古事記に語られているのは、天地の始まりとともに誕生した神がみによって織りなされた葛藤と、遠い世に生きた人びとによって紡ぎ出された愛憎であり、その中心におかれているのが列島の一部を統一して古代国家を現出させた天皇家です。しかし、そこに描かれた神がみの物語を読んでみても、歴代の天皇たちにまつわる伝えを眺めてみても、日本書紀のようには天皇家を称揚することはなく、かえって古代国家や天皇たちへの疑いを生じさせてしまうような、そのような部分をたぶんに抱え込んでいるのが古事記です。敗れていった神がみに、天皇に疎まれてしまった御子に、そして天皇から逃げようとした女たちに、この物語の語り手の視線は向けられているのではないかとさえ思ってしまいます。」


「古代律令国家や天皇のために編纂されたのが古事記だというのは自明のことだが、だからといって、古代に生きた人びとの考え方や行動を古事記の神話や伝承に探ることはできないというような時代錯誤の押しつけはやめたほうがいい」


二つ目の引用には賛成する。一つ目の引用が問題だが、確かに、天皇万歳の書である前提から古事記を見るとその前提に対しそぐわないことも多い。著者の指摘も納得できると思う。


 荒唐無稽なこの物語をきちんと読んだのは初めてだが、知っている話がたくさんあった。うちには日本昔話という絵本があって、因幡の白ウサギの話とかスサノヲの話が収録されていたからだ。純粋に懐かしかった。最近は外国製の絵本とか現代人が創作した絵本が多いけど、子供には昔からある物語を、自分の先祖が代々聞かされてきた物語を受容して欲しいなと思う。本当に幸運なことに、日本には(豊かな)神々の物語があるのだから。


 古事記の中身はもちろんほとんど完全な真実ではないだろう。しかし、完全な嘘ではないと思う。特に人代篇の後ろの方の記述は何らかの歴史的事実を反映しているのではないか。古事記が編纂された時期にそう遠くないし(200年前とかそんなもん)、史記のようにずっと昔の話でも意外と正確に伝わる例もある。もしかしたら、神代篇も人代篇も私たちが考えている以上に何らかの歴史的事実を反映しているのかもしれない。


 古事記からはたくさんのものが取り出せる。特に僕は古の人びとの有り様、精神の有り様に興味があるので、そういう意味では古事記は他の神話と同じく第一級の史料だ。今後は他の神話を受容することで古事記と比較してみたいと思う。


【本文や注釈や解説から興味を持ったことをメモ】
古事記の世界において異母兄弟の結婚はオッケー。同母兄弟の結婚はいかん。


○兄弟で争う話はいくつもあるが、たいてい兄はずるくてケチな悪いやつで弟は優しくて従順な良いやつ。


古事記神話の三分の一はオホナムジに関わる神話で、それがもっとも生き生きと語られる。日本書紀にはこれら出雲系の神話はほとんど語られない。それが古事記の独自性。出雲系の神がみを語ろうとする意思あり。それを天皇家の血筋と支配の正当性を語るために統御しようとして、完全に統御しきれなかったのが古事記


○白い野生動物はしばしば神や神の使いとして登場。


天皇は夢のなかで神のお告げを「聞く」。
(ジェインズの二分心仮説を彷彿させるなあ)


古事記には語りに見られる特徴が多数ある。古事記の文体を支えているのは「語り」の論理だと見なせる。Ex似たような話のくり返し、リズミカルな表現、動詞の連用形や接続助詞による長い文章、比喩表現


古事記日本書紀に比べ、過去に向いている


○「古事記の神代編が語ろうとするもう一つの主要な要素は、人びとが暮らす地上世界のあらゆる秩序の起源を、神々の世に生じた出来事として説明しようとすること」


○「(人代篇)中巻では神話的な構造を受け継いだ様式的な伝承(混沌から秩序)がくり返され、(人代篇)下巻では個別化したいくつかの伝承の背後に儒教的な観念が埋め込まれている」


《20070730の記事》