シャドウ・ワーク(生活のあり方を問う)

シャドウ・ワーク(生活のあり方を問う)
イヴァン・イリイチ 玉野井芳郎・栗原彬訳 1990 岩波書店


【カヴァー見返しの内容紹介より】
家事などの人間の本来的な生活の諸活動は、市場経済に埋め込まれ、単なる無払い労働としての〈シャドウ・ワーク〉と変質している。そのような現在の生活からの脱却を企て、人間の生き方として、言語・知的活動から、平和の問題までを縦横に論じる。鋭い現代文明批判で知られるイリイチの思想理解への格好の書。


【メモ】
少し読みにくい本だった。著者の言いたいことは、まあ分かるのだけど、抽象的だし、昔のヨーロッパなんかを引き合いに出したりしていて分かりにくい部分が多少ある。


思想家であるイリイチが本書で訴えているのは、産業革命以降、生活の自立と自存が奪われたということである。簡単に言えば、経済のために生活の自立と自存が犠牲になったと主張しているのだ。今の私たちは、外部に消費という形で頼らなければ、ほとんどの生活に必然のこと(食事、教育、洗濯etc)ができなくなっている。それはその通りなのだろう。その例に、家事労働や国語の制定、国家による道路の整備、学校教育、医療制度などを見ていることが注目すべき点なのかもしれない。しかし、本書からはこれからどうすればよいのかという具体的な方策はうかがえない。


シャドウ・ワークとは何か?
「金で活動を算定する部門から閉め出されていて、しかも産業化以前の社会には存在していないような人間の活動」p4
「産業社会が財とサーヴィスの生産を必然的に補足するものとして要求する労働」p205
「この種の支払われない労役は生活の自立と自存に寄与するものではない。まったく逆に、それは賃労働とともに、生活の自立と自存を奪いとるものである」p205


シャドウ・ワークの例
「女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関係する諸活動、家で学生たちがやたらにつめこむ試験勉強、通勤に費やされる骨折りなどが含まれる。押しつけられた消費のストレス、施療医へのうんざりするほど規格化された従属、官僚への盲従、強制される仕事への準備、通常「ファミリー・ライフ」と呼ばれる多くの活動なども含まれる」p205


パックス・エコノミカとは?
経済による平和。経済を最優先させることで安定させている世界。
「「パックス・エコノミカ」はもっぱら生産を守ったにすぎない。それは民衆の文化への侵害、共有地への侵略、女性への侵犯を保証するものである。」p34
「「パックス・エコノミカ」は、人々が自分で生活を維持することができなくなっているという仮定を覆いかくしている。」p34
「「パックス・エコノミカ」は環境にたいする暴力を促進する。この新たな平和は住民の無事を保証するが、この無事とは、商品の生産のために採掘される資源として、また商品の流通のためにあてられる空間として、環境を使用してよいということにほかならない」p34


シャドウ・ワークに対立するものとして「ヴァナキュラーな領域」という表現をイリイチは用いている。これはもともとラテン語で、家庭で育てられるもの、家庭で作られるもの、共有地に由来するもの、などを意味するらしい。その例として、「自分の妻の子、奴隷の子、自分の所有する家畜のろばから生まれたろば」p127などがある。


金が支払われないという点ではシャドウ・ワークとヴァナキュラーな領域は似ている。しかし、ヴァナキュラーな領域は生活の自立と自存に根ざしたものであり、それとは逆にシャドウ・ワークは生活の自立と自存を破壊するものである。シャドウ・ワークとヴァナキュラーな領域は慎重に区別されなければならないとイリイチは主張している。


《20070625の記事》