昆虫(驚異の微小脳)

昆虫(驚異の微小脳)
水波誠 2006 8 25 中央公論新社


【カヴァーの宣伝】
ヒトの脳に比べてなきに等しい昆虫の脳。ところが、この一立方ミリメートルにも満たない微小脳に、ヒトの脳に類似した構造が見られることが明らかになってきた。神経行動学は、ファーブルやフリッシュを驚嘆させた「陸の王者」の能力を、精緻な実験によって脳の動きと結びつけ、ダンスによる情報伝達、景色記憶、空間地図形成能力など、昆虫の認知能力の解明に乗り出している。本能行動の神秘に迫る最新生物学の成果。


【私的感想】
 門外漢には多少難しいが、一生懸命平易に書いているのはよく分かる。重要なところは太文字になっていてありがたかった。単に昆虫の凄い能力だけを追っているのではなく、その神経学的メカニズムも解説しているところがいい(だから難しくなるわけだが)。


 本書は昆虫の驚異的な能力を紹介し、それをなさしめる昆虫の脳の謎に迫っている。私たちほ乳類の脳は大きく潤沢だ。ところが昆虫の脳は非常に小さい。ほ乳類の脳を「巨大脳」と呼ぶならば、さしずめ昆虫のそれは「微小脳」と言えるだろう。筆者はそのように主張し、その小型で軽量で低コストな昆虫の脳を特徴づけようとしている。


 現代の昆虫の行動の仕組みについての研究の重要なテーマは「昆虫の微小脳のしくみが、ほ乳類の巨大脳のしくみとどこまでが共通であり、どこからが異なるのか」だそうだ。


 昆虫の脳と脊索動物の脳の共通点としては、中枢神経系の形成に同一の遺伝子群が使用されていることが分かってきているという。これは両者の脳の基本的な部分は共通の祖先から引き継いできたことを示しているらしい。


 他には、昆虫の微少脳も、ほ乳類の巨大脳に匹敵しているがごとく見えるすばらしい性能を備えていることだろう。あの微小脳で昆虫は景色記憶や匂い記憶、探索帰巣ルート構築で大きな記憶力、学習能力、認知力を示した。私は昆虫の脳の小ささなんて考えたことなかったので、そんなもんだろと思っていたけれど、確かにあの小ささを考えればそれは大変驚くべきことなのかもしれない。


 ただ、激しい生存競争を勝ち抜いてきたんだから、脳の小ささはともかく、生物個体としてある一定以上の能力はあって当然だろう。実験で明らかにされ本書で紹介された昆虫たちの驚異的能力も、まだまだほんの序の口だと思う。自然界にはもっと驚くべき知性的能力を持つ昆虫がいるに違いない。


 後に筆者は、マイヤの、動物は「食う」ためにある一定の学習能力を必要とする(変化していく環境の中で採餌行動をするにはある程度以上の学習能力が必要だから)、という考察から微小脳の学習能力の高さを説明しようとしている。巨大能との類似性の理由も見出せるだろう。結局、採餌行動をする以上、どんな動物だってある一定の学習能力は必要なのだ。


 一方、巨大脳と微小脳、その二つにある最も大きな隔たりはそれぞれの繁殖戦略の違いからくると著者は指摘する。


 テキサス大学のピアンカは、生物の繁殖戦略に二つの対照的な戦略を見出した。
r戦略者とK戦略者である。r戦略者は不安定な環境に生息する種で、体のサイズが小さい、世代時間が短い、個体数が多い、多産である、
などを特徴とし、繁殖率の高さが目立つ。一方、K戦略者は安定した環境に生息する種で、体のサイズが大きい、世代時間が短い、個体数が少ない、少産である、などを特徴とし、環境資源を有効利用する能力の高さが目立つ、とした。


 r戦略者は昆虫、K戦略者はほ乳類といえる。その違いが微小脳と巨大脳の違いを生み出しているのだろうと筆者は指摘している。大ざっぱにその違いを本書から列挙してみると・・・


昆虫は、速く、経済的な、情報処理を目指している。ほ乳類は、精密で、柔軟な、情報処理を目指している。


昆虫の視覚系は運動視を重視。つまり、外敵の接近を捉えることを目指す。ほ乳類の視覚系は形態視を重視。つまり、形を捉えることを目指す。


昆虫の制御系は軽い体を速く動かすことを重視。ほ乳類の制御系は重い体を精密に動かすことを重視。


 分かりやすいのはこんな感じかな。もちろん大きな違いとして認知や学習の深さというのは当然ある。ほ乳類の方が学習や行動の柔軟性はずっとずっと高い。


 それが良いとか悪いとかいう話ではなくて、生存戦略の違いから出たということ。


 昆虫のすぐれた微小脳の研究は、昆虫という人間にとっては異質とも見える地球生物に対し多少の理解は深まるし、そこから私たち人間や人工知脳に対する知見も得られのるだ。


《20070409の記事》