「私たちは自分自身の神になったのだ」

「私たちは自分自身の神になったのだ」


 上は、人間が意識を得たことについて心理学者ジュリアン・ジェインズ氏が残した言葉。(神々の沈黙P104)


 意識があるということは実に奇妙なことであり(人間にしかないと考えられている)、不思議なことだ。


 意識あるものは一応、その意識が意志行動を決定している。


 されば意識ないものたちは?


 それは神の声というか、超直感的叫びというか、そのように表現するほかない。


 ところが、私たちは意識をもっている。それは「私」が、私の肉体をほぼ自由にできる神になったということと同義なのだ。それを、最初に上げた言葉は表現している。


 実におもしろい表現だなあ。そうそう、私たちは意識によって、ほぼ自覚的に自分の肉体の行動、行く末を決している。前に行きたいと思えば前に行くし、後ろに行きたいと言えば後ろに行く。戦いたいと思えば戦えるし、戦いたくなかったら戦わずにすむ(社会的要因をのぞけば)。自殺することだって可能だ。それはあるものを自由に操る神という概念に等しい。神という概念は何とも滑稽なことに、一部の定義的には、それを生み出した人間の意識をも指しているのだ。「私たちは自分自身の神になったのだ」という氏の表現はそういうことを指している。


 僕は自分自身の神である。その神は意識の誕生やその不可思議さについて考えを巡らしている。


 僕は、僕自身の神になったがために、僕自身をいかようにもコントロールできるようになったがために、そのかわりに、、、
死の恐怖を引き受けた。
そして意識について考えをめぐらし、さまざまな知見を得ることでその恐怖を紛らわそうとしているんだ。


《20060828の記事》