恋人選びの心(性淘汰と人間性の進化)

恋人選びの心(性淘汰と人間性の進化)
ジェフリー F ミラー著 長谷川眞理子
2002 7 15(上巻) 岩波


〔筆者の主張〕
 ダーウィンの考えた淘汰は、自然淘汰(環境から受ける圧力)と性淘汰(異性から選択されることによって受ける圧力)との二種類がある。しかしこれまで、自然淘汰にばかり目が向けられて、説明しにくいものがあった。人間の生み出す文化、芸術、音楽などである。


 自然淘汰と違い性淘汰は生存に役に立たないものを説明できる。たとえばクジャクの雄の尾羽である。それは生存する上で何の役にも立たないだろう(むしろ邪魔)。しかし雌からの選択の基準となることで発達することになったのだ。(なお、無駄なものを抱えつつ生存しているという意味で、よりコストのかかる尾羽をもった雄はより生存能力を持つといえるだろう。)


 このように人間の芸術、文化なども異性からの選択の基準となることで発達していたのである。


私見
 性淘汰という今まで重点を置かれていなかったものに着目したという点で評価できる。


 ただ、性淘汰を重視しすぎる嫌いがあると思った。たとえば脳の発達にまで性淘汰を持ち出そうとした点である。


 私はもちろん性淘汰を否定するわけではないが、特に人の脳や芸術の発達は、性淘汰も含めた社会的な淘汰(ある集団に属し、そこで協力していかなければ人は生存すらできないという圧力)によると考える。この社会淘汰というのは広い意味で性淘汰を包括内包するものだ。


 これは人特異の現象、人を人たらしめている現象を考える上でのカギとなると考える。例えば著者自身があげた「共感、愛想のよさ、道徳的なリーダーシップ、性的忠実さ、よき親であること、慈善に対する寛容さ、スポーツマンシップ、共有財に寄与しようとする情熱」は性淘汰というよりは社会的な淘汰によると言えないか。人は恋人選びより先に社会と関わって生存してゆかなければならなかった。


 このように、人の進化的特性を考えるのに、自然淘汰(生存のための圧力)、性淘汰(異性からの選択のための圧力)、社会淘汰(集団社会維持のための圧力)の三つの影響を考えなければならないだろう。


 特に社会淘汰は人間に顕著なので、人の特性を考える上で殊に重要であると思う。


《20060416の記事》