空のいけにえ written by宮崎駿

 人には感動した、強い影響を受けた文というものが少なからずあるだろう。
 今日はそのとある文章を紹介したいと思う。
 空とは自然とは、、、?
 自然と人間との関わりとは、、、?
 趣旨はそれじゃないけど、趣旨と共に感じとって欲しい。


以下全文、(サン=テグジュペリ著人間の土地の解説)空のいけにえ written by宮崎駿より

 人類のやることは凶暴すぎる。20世紀の初頭に生まれたばかりの飛行機械に、才能と野心と労力と資材を注ぎ込み、失敗につぐ失敗にめげず、墜ち、死に、破産し、時に讃えられ、時に嘲けられながら、わずか10年ばかりの間に、大量殺戮兵器の主役にしてしまったのである。
 空を飛びたいという人類の夢は、必らずしも平和なものではなく、当初から軍事目的と結びついていた。19世紀に、既に飛行機械は無敵の新兵器として空想科学小説に定着されていたし、実際にライト兄弟は陸軍への売込みに執心し、硬式飛行船の発明家ツエツペリン伯爵が夢見たのは、敵国の心臓部に爆弾の雨を降らす空中艦隊の建設だった。
 1914年に第一次世界大戦が始まった時、トウヒやトネリコ材の骨組に布を張り、針金で補強した凧(たこ)同然の機体に、最初の機関銃が付けられるまでそう時間はかからなかった。空中での戦いが始まったのである。飛行機の複雑な操縦方法が考案され、戦術が改良され、次々と新型機が造り出された。木製モノコックの胴体や、鋼管の骨組、ジュラルミン坂や強力なエンジンの開発、最後には全金属製の飛行機まで造り出されている。1918年に終戦となるまでに交戦国で生産された軍用機は、17万7千機におよんだのであった。終戦時に任 務についていた機数は1万3千。つまり16万余機は戦争期間中に壊れ、燃え冬き、捨てられたのだ。この飛行機に乗っていた若者達はどうなったのだろう。操縦士、機関士、銃手、通信士達は皆おどろく程若く、おどろくべき速さで消耗し死んでいったのだ。
 飛行機は将軍達にとっては戦力の持駒であり、メーカーの実業家にとっては利潤そのものであり、技術者にとっては職業上の成果であり、乗員の若者連には華々しい名誉と興奮をもたらすチャンスだった。各交戦国は国民の戦意をあおるために、空中戦の戦果を個人名で発表し、英雄を作りあげた。5機以上の敵機を撃墜した者はエースと称えられ、トップエース達は国民的英雄として、今日のプロスポーツの選手のように新聞記事になったのである。欧州の各戦線で戦った国々は、数百名ずつのエースを持つ事となった。エース達が挙げた戦果を合計すると、自分の手元の簡単な資料だけで、数万機にのぼってしまう。パラシュートが実用化したのは戦争もずっと終りの頃で、墜ちたらまず戦死だし、墜ちる前に銃弾で死んだパイロットも多かった。それに、一人しか乗らない戦闘機以外の機種には、二人から三名、時には四名以上の乗員をのせたものもあった。いったい、何人死んだのだろう。


 三次元の空間を不規則に機動する標的に、同じく空中から弾丸を命中させて破壊するのは、想像以上にむずかしい。天分ともいうべき才能を持たないと不可能である。エースは墜とし、その他多勢は墜とすどころかエース連のエサとなって殺される運命にあった。西部戦線の戦闘機乗りの平均寿命は、二週間などと当時でも言われていたのである。それでも国家は、死の大釜に若者達を送り込みつづけた。
 飛行機自体も、ずい分進歩したとはいえ、今日の基準から見れば脆弱で不安定な代物だった。飛ぶだけでしばしば故障し、事故を発生させた。訓練中に事故や故障で死んだ者、負傷し不具になった者の数もゾツとする程だったはずである。              
 それでも、多くの若者達が空中の兵士になる事に憬れ、パイロットに志願した。泥の中をはいまわる塑壕戦の歩兵になるよりマシ、というだけでは説明できない熱狂に、青年達はとりつかれていた。空を自由に飛びたいという願望は、空を自在に高速で飛びまわる自由に変り、速力と破壊力が若者達の攻撃衝動をかきたてたのだ。今日の信号を無視して突走るバイクの若者達を見れば、すぐ理解できることである。実は、速度こそが20世紀をかりたてた麻薬だった。速度は善であり、進歩であり、優越であり、すべての物差しとなったのだ。


 ここまで読まれた読者のみなさんは、「人間の土地」の解説に何の世迷い言を、と思われるにちがいない。しかし、サン=テグジユペリの作品や、同時代のパイロット達が好きになればなる程、飛行機の歴史そのものを冷静に把えなおしたい、と僕は考えるようになった。飛行機好きのひ弱な少年だった自分にとって、その動機に、未分化な強さと速さへの欲求があった事を思うと、空のロマンとか、大空の征服などという言葉では胡麻化したくない人間のやりきれなさも、飛行機の歴史の中に見てしまうのだ。自分の職業は、アニメーションの映画作りだが、冒険活劇を作るために四苦八苦して悪人を作り、そいつを倒してカタルシスを得なければならないとしたら最低の職業と言わぎるを得ない。それなのに、囲ったことに、自分は冒険活劇が好きだと釆ている......。


 戦争が終り、パイロットに憬れた少年達は、おくれて生まれたのを悔む事となる。軍隊は縮小され、空への道は絶たれてしまった。航空界は冒険と記録飛行の時代となるが、その飛行士になるにはよほどの好運が必要だった。旅客飛行は機体そのものが快適というにはほど遠く、市場として成立するには早すぎた。客がいなかったのである。
 英仏米独伊の各国で、いっせいに郵便飛行の事業が国家の支援の下に始められた。速度が鍵だった。鉄道郵便に勝つ速力。機体は軍隊からの払下げがゴロゴロしていた。飛行機の平和利用とか、本来の目的、とかの言葉ですりかえてはならない。間大戦期に、フランスの航空郵便航路の開拓と維持のため、百名以上の死者を出している事を思うと、その凶暴さに感嘆してしまう。あのフランス人さえがそうだったのだ。
 戦争の時と同じ方法で、飛行機は郵便輸送に向けられた。経営者は将軍達のように国家の威信と人類の進歩を説き、技術者は仕事を得た。パイロット達が、郵便配達の速度を上げることに、意義を感じていたとは思えない。それしか飛ぶ方法がなかった、というのが正確だろう。彼等は飛びたかったのだ。ただし、今度は自在に空中を高速で飛ぶのではなく、一定の針路を確実に、郵便のために安全に飛行するよう要求された。今度の相手は、太陽の中からふいに突進して来る敵機ではなく、雨や霧や嵐だった。雨の日には空中戦はやらなくてすんだのに、郵便飛行は飛ばなければならない。相手は、夜も走り続ける汽車であり、自動車なのだ。彼等は悪天候でも動きつづけている。それよりも速くなければ、存在理由を失ってしまう。
 最初に使われた機体は、プレゲー14。戦時に造られた単発複座の軽爆撃機を改造したものだった。300馬力のエンジン、武骨な機体、最高速力は時速で、180km程。計器類は単純そのもの、雲中の盲目飛行は自殺を意味する。ナビゲーションシステムなど何もない。地上の目標をたどりつつ、時速70kmの向い風の中でも飛ばなければならない。


 パイロットは全神経を集めて、風景のわずかな兆しの中に天候の変化を読みとろうとした。白い雲も強固な岩山に等しい危険な罠。空が気紛れなひと吹きで、郵便機を破壊してしまうのを彼等はよく知っていた。充満する危険の中で、張りつめ覚醒した彼等の見た世界はどんな眺めだったのだろう。
 風景は、人が見れば見るほど磨耗する。今の空とちがい、彼等の見た光景はまだすり減っていない空だった。今、いくら飛行機に乗っても、彼等が感じた空を僕等は見る事ができない。広大な威厳に満ちた大空が、彼等郵便飛行士達を独特の精神の持主に鍛えあげていったのだった。        
 間大戦期のデカダンスの中に、地上の雑事への軽蔑と憬れをかくしつつ、若者達は砂漠へ、雪をいただく山々へと出かけていった。サン−テグジユペリが存在しなかったら、おそらくこの若者達の物語はとうに忘れられていたにちがいない。凶暴に進化する技術史の中のほんの一貫の、一行分位のエピソードで終っただろう。実際、郵便飛行士が英雄になった時代は、ほんのわずかの間であり、一代限りの物語にすぎなかったのだ。
 機体は改良され、航法は改善され、飛行はより安全なものになっていく。郵便飛行は実務家達のビジネスに変っていった。そして、また戦争。第一次大戦より、更に大量の若者が、更にシステイマチックに空の大釜に送り込まれ、戦後の大量輸送の準備が進められていく。ブランドを買い漁るツアー客を運ぷ、大量空輸時代へのいけにえが献げられたのだ。
サン−テグジユペリの描いた郵便飛行士の時代は、彼が「人間の土地」を執筆中にすでに終っていた。その変化に、ある者は逆い挑みつづけ、ある者は挫折していく。メルモスもギヨメも姿を消し、サン=テグジユペリ自身も「世界は蟻の塚だ」と書き遺して、ほとんビ自殺同然に地中海上で消えていった。


 飛行機の歴史は凶暴そのものである。それなのに、僕は飛行士連の話が好きだ。その理由を弁解がましく書くのはやめる。僕の中に凶暴なものがあるからだろう。日常だけでは窒息してしまう。
 今日、空には線がいっぱいひかれている。軍用の空域やら、大型機のなんとかとか、なんとかの飛行制限とか安全性のためのなんとかの線だらけ。地上の役人に管理されながら飛ぶのが、僕連の空になってしまった。
 人類がいまだに空を飛べなぐて、雲の峰が子供達の憬れのままだったとしたら、世界はどうちがっていただろう。飛行機を造って手に入れたものと、なくしたものとどちらが大きいのだろうかとも考える。凶暴さは、僕等の属性のコントロール出来ない部分なのだろうか。対人地雷の禁止の次に、飛行機械の有人無人を問わない戦争利用の禁止を、そろそろ本気で考えていいのではないかと思ったりもする。
 進歩とか、速度に疑念を持つようになった蟻塚の時代の一匹の自犠の妄想である。
 (1998年8月、アニメーション映画監督)


《20060406の記事》