巨人たちの星

巨人たちの星
ジェイムズ・P・ホーガン  池央耿 訳 東京創元社 1983 5 27


「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」に続く著名SFシリーズの完結作。続編もあるが、それはあくまで番外編的な位置づけらしい。


【あらすじ】
(背表紙より)

冥王星の彼方から届く<巨人たちの星>のガニメアンの通信は、地球人の言葉で、データ転送コードで送られていた。ということは、この地球はどこからか監視されているに違いない。それも、かなり以前から……! 五万年前に月面で死んだ男たちの謎、ミネルヴァを離れたガニメアンたちの謎など、全二作の謎が見事に解き明かされる、。シリーズ第3作!

 地球人たちは、ジャイアンツスターへガニメアンたちの航行を知らせるメッセージを送った。ところがジャイアンツスターから届く応答の通信はなぜか英語で送信されてくる。どうして彼らは、英語ですぐさま返信することが出来るのか?


 こんな謎から始まって、さらに明らかになる人類やガニメアンたちの真実。なんと地球は古代から、何ものかによって監視・管理されていたのだ!


 木星衛生ミネルヴァを離れたガニメアンたちはテューリアンとしてジャイアンツスターでさらなるで発展をみる。


 ミネルヴァに残されれた地球由来の人々は、次第にランビアンとセリアンに別れ激しく争う。


 やがてその抗争はミネルヴァを破壊するまでになるが、セリアンは地球へ逃れ後の地球人になる。ランビアンはテューリアンに引き連れられジャイアンツスターに脱しジェヴレニーズとして発展する。


 時を経てしだいに、ジェヴレニーズはそのインフラ等を一手に引き受ける超高性能コンピューター、ジェヴェックスのたぶらかしもあり、テューリアンたちを、自分たちのさらなる発展と宇宙支配のためにその領域に閉じこめようとする。


 そのために地球を監視し、テューリアンに偽の情報を流していたのだ。また、地球の歴史に密かに関与し、論理的な思考や高度な科学技術文明が発達するのを妨げてもいた。それに気づいたテューリアンと地球人は一致団結して、ジェヴレニーズに対し極秘の罠を仕掛け、ジェヴレン人たちに反撃する。


 それが功を奏し、ジェヴレニーズたちの目論見はおじゃんになり、その指導者たちは遙か昔に、ランビアンたちが歴史に登場しはじめた時期にとばされる。つまりは彼らがランビアンの祖だったのだ。かくしてこのジェヴレニーズたちは、時間の輪の中に閉じこめられていたことも明らかになった。


 こうして地球人とテューリアンの新たなる歴史が始まった・・・。


【雑感】
 前作とは違い、政治や外交の分野に手を出し、なんだかスパイ小説やハードボイルド小説のエキスが入っている。アメリカとソ連がガニメアン技術の誘致合戦をしたり、異国、異星人の間でさまざまな思惑が入り乱れたり、主人公のヒロインがなぜか潜入捜査らしきものを敢行したりと。このホーガンの試みが成功したかどうかは個々の読者の判断に委ねられるのだが、まあ私的には可もなく不可もなくといったところか。ただ、やっぱり純粋なSFミステリーであった前作の方が数段面白かった。


 1作、2作と経るごとに楽観主義的傾向、科学万歳万能論的傾向が強まってると思ったらやっぱり。本作ではそれが最高点に達している。ホーガンには不思議な魅力があって、普通は批判に転じれそうな、その楽観主義や科学万歳万能論がかわいく、なんだか懐かしく思えるんだけれども、ここまで来るともはや笑うしかない。


 一番面白かったのが、人類の負の歴史をぜ〜〜んぶ、地球人を憎む異星人、ジェヴレニーズのせいにしていたことだ。第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、中東紛争も、東南アジアの危機も(ベトナム戦争のことか?カンボジアの内戦のことか?)、核兵器開発競争も、つまりは貧しい者がますます貧しくなる社会構造も、一定期間に戦争をせざるをえない社会体質も、全て地球人と同じ姿をしたジェヴレニーズの工作員のせいだと。


 おいおい、まぢかよ。このすばらしく楽天的な発想は確かにつっこみどころ満載だ。厳然たるフィクションではあるけれども、、、いいのか?こんなアイデアを提示して?。けれども、まあ、これでもいっかと思わせてしまうのがホーガンの力。するとア○リ○やイス○○ルの指導者たちは皆、ジェヴレン人?


 そして随所に溢れる科学技術万歳万能の雰囲気。それらを人類はうまく使いこなすだろうという人類に対する飽くなき信望と発展への夢と希望。


 科学技術は人類を幸せにするか?


 本書はこの問いに、大きな声でYESというに違いない。


 またしても、問題な考えであるが、まあいいか、と思わせるのがまたまたホーガン流。フィクションなんだし、今ぐらいこんな夢を見ても確かに罰は当たらないかも知れない。試しに、科学技術を駆使する、人類への気持ち悪い程の信望が読み取れる部分を引いてみよう。

今しがたの危険も、未知の恐怖も、彼らはまるで気にしない。そうして、あのように冗談を飛ばし合って笑い興ずることだろう。地球人は常に何かに挑み、失敗しても笑って忘れ、すぐにまた試みる。最後には、きっと目的を達するのだ。間一髪の危機も、彼らにとってはもう過ぎ去ったことである。勝負で一本取ったというだけのことにすぎない。今、彼らの頭にあるのは次の一本のことだけである。
(p427)

いや、人類ってすげえな(笑) 


 本書の最後はこう終わっている。

星を継ぐ者は、今正当に宇宙の遺産相続権を主張しようとしている。」

 ちょっと過激すぎて僕の言いたいことが伝わんないかもしんない。ようは本書は、人類よ科学技術を武器にもっと宇宙を知ろうぞ、と言っているわけだ。こんな考えにケチをつけるのは簡単だろう。何をバカなことを。科学技術が人を幸せにするものか、とか。もし宇宙から恩恵を受けられたとしても、それはごくごく一部の人で、貧しい者がさらにどんどん貧しくなるこの社会構造が変わるものか、とか。もっと足下の現状をみろ、地球の各政府にそんな風に宇宙に莫大な投資する資金はない、とか。


 確かにね。今、この時代はそういうかもしれない。でもきっとこれが大いなるロマンであった時代があったわけだ。そしてこれからも来るかもしれない。僕はそれを何となく願っている。


 だって宇宙は未知で、広大で、美しいから。


《20060721の記事》